吉田松陰

よしだしょういん

吉田松陰

吉田松陰|思い立ったら即行動! 吉田松陰の「猪突猛進」すぎる人生

基本情報

名前
吉田松陰
読み
よしだしょういん
生没年
1830年〜1859年
時代
幕末
立場・肩書
長州藩士、思想家、教育者(
主なゆかりの地
長州藩/長州
代表的な出来事
幕末の長州藩士、思想家、教育者(1830年〜1859年)。松下村塾で多くの幕末の志士を育成。ペリー艦隊への密航未遂などで投獄され、安政の大獄に連座して斬首刑となった。
関連人物
高杉晋作・伊藤博文

01

勉強のためなら「脱藩」も辞さない

吉田松陰(よしだしょういん)は、とにかく「現地に行って自分の目で見たい」という知識欲の塊でした。

東北地方への視察旅行を計画した際、藩からの通行許可証の発行が旅行の出発日に間に合いませんでした。普通の武士なら許可が出るまで待ちますが、松陰は「友達と約束した日を破るわけにはいかない」と、なんと許可を待たずに勝手に出発(脱藩)してしまったのです。当然、武士の身分を剥奪される重罪になりました。

勉強のためなら「脱藩」も辞さない
ペリーの船に「密航」を企てる

02

ペリーの船に「密航」を企てる

松陰の行動力は国境すら越えようとします。ペリーの黒船が再び日本(下田)にやってきた時、「西洋の優れた技術を直接学びたい」と考えた松陰は、夜の海を小舟で漕ぎ出し、ペリーの旗艦に乗り込んで「アメリカへ連れて行ってくれ!」と密航を直訴しました。ペリーは彼の勇気に感心しましたが、国禁を破るわけにはいかないと拒否。松陰は自首し、牢屋(野山獄)に入れられてしまいます。

03

牢屋の中でも「授業」を始める

牢屋に入れられても松陰はへこたれません。「せっかくここにいるのだから、皆で学び合いましょう」と、牢屋の中にいる他の囚人や、さらには監視役の役人まで巻き込んで、獄中で『孟子』などの講義を始めてしまったのです。この圧倒的なポジティブさと情熱が、のちの松下村塾へと繋がり、高杉晋作や伊藤博文といった明治維新を成し遂げる若者たちの心に火をつけることになります。

牢屋の中でも「授業」を始める

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