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実は「殿様より格上」の超エリート
原敬といえば「平民(一般庶民)から総理大臣にまで登り詰めた苦労人」というイメージがありますが、これは大きな誤解です。
彼は盛岡藩(岩手県)の家老の家柄に生まれました。祖父の代には藩主の身代わりを務めるほどの超名門であり、家格(血筋のランク)で言えば、当時の盛岡藩主であった南部家よりも「原家の方が格上だった」とされる時期があったほどのエリート中のエリート武士でした。

はらたかし
原敬
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原敬といえば「平民(一般庶民)から総理大臣にまで登り詰めた苦労人」というイメージがありますが、これは大きな誤解です。
彼は盛岡藩(岩手県)の家老の家柄に生まれました。祖父の代には藩主の身代わりを務めるほどの超名門であり、家格(血筋のランク)で言えば、当時の盛岡藩主であった南部家よりも「原家の方が格上だった」とされる時期があったほどのエリート中のエリート武士でした。
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では、なぜ彼はエリートなのに平民宰相と呼ばれたのでしょうか。明治時代になり、原家は賊軍(戊辰戦争で負けた側)として没落し、原敬自身も分家して戸籍上「平民」となりました。
その後、彼が政治家として大出世すると、天皇から「華族(貴族)の爵位を与えよう」というオファーが何度も来ました。しかし原敬は「私は平民の代表として衆議院にいるから意味があるのだ。貴族になってしまえば国民の心から離れてしまう」と、最後までこの爵位を断り続けました。平民を貫いたのは、身分が低かったからではなく、彼の政治家としての強烈な矜持(プライド)だったのです。
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1921年、東京駅で青年に暗殺された原敬。彼が残した遺言書の内容は、当時の権力者としては異例なほど質素で、読む者の胸を打ちます。
「葬式は身内だけで行い、絶対に盛大にしてはならない」「墓標には『原敬の墓』とだけ書き、肩書きは一切入れてはならない」「死後に国から与えられる勲章はすべて辞退すること」。日本のトップに立ちながら、権威や勲章に全く興味を示さなかった彼の「平民としての美学」が、死の瞬間まで貫かれています。
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