板垣退助

いたがきたいすけ

板垣退助

板垣退助|「死すとも自由は死せず」を生んだ岐阜事件の真相

基本情報

名前
板垣退助
読み
いたがきたいすけ
生没年
1837年〜1919年
時代
幕末〜明治
立場・肩書
政治家・自由民権運動家・自由党総理
主なゆかりの地
高知県高知市/岐阜県岐阜市/東京都
代表的な出来事
戊辰戦争、岐阜事件、自由党の結成
関連人物
後藤象二郎・大隈重信

01

柔術の達人、暗殺者を迎撃する

1882年、遊説先の岐阜で暴漢に襲われた「岐阜事件」。この時、板垣はただ刺されて倒れたわけではありません。 短刀で襲いかかってきた相原尚褧(あいはらなおふみ)に対し、板垣が襲撃者に抵抗し、周囲に取り押さえられるまで応戦したことは記録されていますが、肘打ちや足払いの細部は史料・報道で描写が異なります。彼はバリバリの武士であり、武術の心得がありました。周囲が止めに入ったため刃物で負傷はしたものの、本人は興奮状態で板垣が負傷後も気丈に振る舞ったという逸話が残っていますが、発言の正確な文言は確定できません。

柔術の達人、暗殺者を迎撃する
「板垣死すとも…」は本当に言ったのか?

02

「板垣死すとも…」は本当に言ったのか?

襲撃された際の名言「板垣死すとも自由は死せず」。あまりに出来すぎたセリフですが、本人がその通りに発言したかは諸説あります。 襲撃直後の報道や目撃者の証言では、「吾死スルトモ自由ハ死セン」と叫んだとするものや、後から新聞記者がキャッチーに脚色したとする説があります。しかし、血まみれになりながらも強烈な気迫で叫び声を上げたことは間違いなく、その気迫がこの伝説的な名言を生み出しました。

03

全然死んでいない、その後82歳までの長寿

この名言のインパクトが強すぎるため、歴史に詳しくない人は「板垣退助はこの時に暗殺されて死んだ」と勘違いしがちです。 しかし実際の彼は、この事件の傷からすぐに回復し、その後も日本の政治の中心で活躍。なんと82歳まで長生きして天寿を全うしました。「死すとも」と啖呵を切りながら、誰よりもタフに生き抜いた政治家でした。

全然死んでいない、その後82歳までの長寿

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