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凄腕の実業家、50歳で「隠居」する
伊能忠敬といえば測量家のイメージですが、人生の前半50年間は、千葉県(佐原)で造り酒屋などを営む「凄腕の実業家」でした。 傾きかけていた伊能家へ婿養子に入り、商才を発揮して巨万の富を築き、村のリーダーとしても活躍しました。そして50歳になり、家督を長男に譲って完全に仕事を引退(隠居)します。ここから、彼の「第2の人生(オタク活動)」が爆発するのです。

いのうただたか
伊能忠敬
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伊能忠敬といえば測量家のイメージですが、人生の前半50年間は、千葉県(佐原)で造り酒屋などを営む「凄腕の実業家」でした。 傾きかけていた伊能家へ婿養子に入り、商才を発揮して巨万の富を築き、村のリーダーとしても活躍しました。そして50歳になり、家督を長男に譲って完全に仕事を引退(隠居)します。ここから、彼の「第2の人生(オタク活動)」が爆発するのです。
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隠居した忠敬は、以前から興味があった「天文学」を学ぶため江戸へ出ます。そして、幕府の天文方であった高橋至時(たかはしよしとき)の弟子になりました。 この時、先生である至時は31歳、生徒の忠敬は50歳。19歳も年下の先生に対して、忠敬はプライドを捨てて熱心に教えを乞い、昼夜を問わず星の観測と数学の勉強に没頭しました。この純粋な探究心こそが彼の原動力です。
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忠敬が測量旅行を始めた最大の動機は「国家プロジェクトとしての地図作成」ではなく、「地球の外周の正確な距離を知りたい(子午線1度の長さを測りたい)」という天文学オタクとしての好奇心でした。 「江戸から蝦夷地(北海道)まで正確に距離を測りながら歩けば、地球の大きさが計算できるぞ!」と気づいた彼は、幕府に「自腹で地図を作るから行かせてくれ」と掛け合います。こうして始まった趣味の測量が、あまりにも精密で幕府の役に立ったため、結果的に国家事業として日本全国を歩き回ることになったのです。「究極のシニア・ホビー」が歴史を動かした瞬間です。
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