新田義貞

にったよしさだ

新田義貞

新田義貞|永遠のナンバーツー。新田義貞の「奇跡と泥まみれの最期」

基本情報

名前
新田義貞
読み
にったよしさだ
生没年
1301年?〜1338年
時代
鎌倉時代末期〜南北朝時代
立場・肩書
武将
主なゆかりの地
鎌倉・稲村ヶ崎・越前国藤島
代表的な出来事
鎌倉攻めによる鎌倉幕府滅亡への貢献・南北朝期の戦い
関連人物
足利尊氏・後醍醐天皇

01

海に剣を投げる「稲村ヶ崎の奇跡」

新田義貞(にったよしさだ)の人生最大のハイライトは、鎌倉幕府を滅ぼした1333年の鎌倉攻めです。

鎌倉は三方を山、一方を海に囲まれた要塞であり、義貞軍は稲村ヶ崎(海沿いの狭い崖道)で幕府軍の激しい抵抗に遭い、進軍がストップしてしまいます。そこで義貞は、自らの黄金の太刀(剣)を海に向かって投げ入れ、「どうか海神よ、道を開いてくれ!」と祈りました。すると、潮がみるみるうちに引いていき、干潟を通って軍勢が一気に鎌倉へ突入できた、という有名な伝説が『太平記』に記されています。

海に剣を投げる「稲村ヶ崎の奇跡」
尊氏に勝てない「政治センスのなさ」

02

尊氏に勝てない「政治センスのなさ」

鎌倉幕府を滅ぼすという大金星を挙げた義貞ですが、その後の彼は足利尊氏の影に隠れ続けます。

血筋としては尊氏と同格の源氏の名門でしたが、義貞には「人望」と「政治センス」が足りませんでした。気前よく土地を配って武士の心をつかむ尊氏に対し、義貞は真面目すぎて武士たちの支持を集めることができず、常に「尊氏のライバル(だけどちょっと格下)」という立ち位置に甘んじることになります。

03

泥の中で顔面に矢を受ける壮絶な死

尊氏と決裂し、後醍醐天皇側(南朝)の主力として戦った義貞ですが、その最期はあまりにもあっけなく、かつ凄惨なものでした。

越前国(福井県)の藤島で、たった数十騎で移動中に敵の待ち伏せに遭い、馬がぬかるみ(泥田)に足をとられて動けなくなってしまいます。そこに敵の放った「流れ矢」が、なんと義貞の眉間(顔面)にグサリと命中しました。致命傷を負った義貞は、敵に自分の顔(首)だと悟られないよう、自ら太刀で自分の首(または顔面)を切り刻んで泥の中で絶命したと伝えられています。泥臭く生き、泥の中で散った不器用な英雄です。

泥の中で顔面に矢を受ける壮絶な死

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