行基

ぎょうき

行基

行基|弾圧から大僧正へ。行基の「ストリート布教」伝説

基本情報

名前
行基
読み
ぎょうき
生没年
668年〜749年
時代
奈良時代
立場・肩書
僧侶、大僧正、社会事業家
主なゆかりの地
奈良・東大寺
代表的な出来事
民衆への布教と橋・ため池・港の整備を行い、東大寺大仏造営の責任者に任命された
関連人物
聖武天皇

01

法律違反の「ストリート布教」

当時の法律(僧尼令)では、僧侶が寺の外に出て勝手に民衆へ教えを説くことは禁止されていました。しかし行基はこれを無視し、街角や村に出向いて貧しい人々に仏教を説きました。朝廷は彼を「怪しい術で人々を惑わす妖僧(危険人物)」として弾圧しましたが、行基の周りには彼を慕う数万人の民衆が集まってしまいました。

法律違反の「ストリート布教」
宗教家にしてスーパーゼネコン

02

宗教家にしてスーパーゼネコン

行基が民衆に支持された理由は、ただお経を読むだけでなく、自らスコップを握って「橋を架ける」「ため池を作る」「港を整備する」といった社会インフラの整備(ボランティア活動)を指揮したからです。彼に共感した人々が無料で労働力を提供したため、行基の集団は当時の国家機関をも凌ぐ巨大なゼネコン(建設集団)として機能しました。

03

国が折れて「大仏作りのトップ」に

聖武天皇が「巨大な大仏を作る」と宣言した時、国家の予算だけではどうしても人手と資金が足りませんでした。そこで天皇はプライドを捨て、かつて弾圧していた行基に頭を下げて協力を依頼します。行基が「みんなで大仏を作ろう!」と呼びかけると、全国からあっという間に物資と人が集まりました。アウトローから日本のトップ僧侶(大僧正)へと登り詰めた、民衆パワーの勝利です。

国が折れて「大仏作りのトップ」に

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