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幕府の箔付けに利用された「初の皇族将軍」
北条氏にとって、天皇の血を引く親王は「自分たちの権威を高めるための最高のブランド品」でした。10歳で鎌倉に迎えられた宗尊親王は、豪華な御所に住まわされ、御家人たちから神様のように崇められました。しかし、それはあくまで「飾り物」としての扱い。政治の決定権は1ミリも与えられず、少しでも幕府の政治に口を出そうものなら、側近の北条氏から強烈なプレッシャーをかけられる息苦しい生活でした。


むねたかしんのう
宗尊親王
鎌倉幕府6代将軍・宗尊親王(むねたかしんのう)。公家(九条家)の将軍すら言うことを聞かなくなった北条氏は、ついに「天皇の息子(親王)」を将軍としてお迎えするというウルトラCを使います。超VIPとして鎌倉に降臨したものの、待っていたのは「政治参加厳禁」という地獄の軟禁生活でした。
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北条氏にとって、天皇の血を引く親王は「自分たちの権威を高めるための最高のブランド品」でした。10歳で鎌倉に迎えられた宗尊親王は、豪華な御所に住まわされ、御家人たちから神様のように崇められました。しかし、それはあくまで「飾り物」としての扱い。政治の決定権は1ミリも与えられず、少しでも幕府の政治に口を出そうものなら、側近の北条氏から強烈なプレッシャーをかけられる息苦しい生活でした。

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仕事(政治)を取り上げられた宗尊親王はどうしたか?彼は、暇を持て余したエネルギーのすべてを「和歌」に全振りしました。鎌倉の武士たちを集めては、毎月のように大規模な歌合わせ(和歌のコンテスト)を開催。彼自身も非常に優れた歌人で、生涯で数千首もの和歌を残しています。血生臭い武士の都・鎌倉に、雅な京都の文化を根付かせた文化人としての功績は、実は非常に大きいものでした。

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そんな和歌漬けの平和な日々は、ある日突然終わります。正室(妻)である近衛宰子に「僧侶と密会している」という不倫の噂が立ったのです。さらに「親王が北条氏を呪い殺そうとしている」という怪文書まで飛び交い、鎌倉は大騒ぎに。実はこれ、宗尊親王を煙たがっていた北条氏(または対立派閥)が仕組んだ「陰謀」だったと言われています。親王は一切の弁明を聞き入れてもらえず、罪人扱いされて竹の網で囲われた粗末なカゴに乗せられ、京都へポイ捨てされてしまいました。

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