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日本中から憎まれた「冷酷なダース・ベイダー」
大久保利通のパブリックイメージは、「目的のためなら手段を選ばない冷酷な独裁者」です。
西南戦争では、かつての親友であり同郷の英雄である西郷隆盛を、政府軍を率いて徹底的に叩き潰し、自刃に追い込みました。感情に流されず、国を近代化させるためだけに冷徹な決断を下し続けたため、当時の日本国民(特に士族たち)から「あいつのせいで西郷さんが死んだ」と最も憎まれる存在となっていました。

おおくぼとしみち
大久保利通
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大久保利通のパブリックイメージは、「目的のためなら手段を選ばない冷酷な独裁者」です。
西南戦争では、かつての親友であり同郷の英雄である西郷隆盛を、政府軍を率いて徹底的に叩き潰し、自刃に追い込みました。感情に流されず、国を近代化させるためだけに冷徹な決断を下し続けたため、当時の日本国民(特に士族たち)から「あいつのせいで西郷さんが死んだ」と最も憎まれる存在となっていました。
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1878年、大久保は紀尾井坂(東京都)で馬車に乗っているところを不平士族に襲撃され、惨殺されます。
暗殺された際、血に染まった彼の衣服の懐から、二通の手紙が見つかりました。それは、すでに亡くなっている親友・西郷隆盛から、昔大久保へ宛てて書かれた手紙でした。冷血に見えた男は、政治的な対立で西郷を殺さざるを得なかった後も、親友からの手紙を肌身離さず大切に持ち歩いていたのです。
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さらに世間を驚かせたのは、大久保の死後に遺産整理が行われた時です。
国家の最高権力者であった彼ですが、現金などの財産はわずか140円しかなく、代わりに「8000円(現在の価値で数億円)」という莫大な借金が残されていました。実は大久保は、政府の予算が足りない公共事業(学校建設や産業振興など)を行う際、自らの個人名義で借金をして、私財をすべて国のインフラ整備につぎ込んでいたのです。私利私欲が全くなかった真実に気づいた時、人々は彼への憎しみを恥じたと言われています。
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