01
生粋の武士ではなく「悪党」と呼ばれた男
楠木正成(くすのきまさしげ)は、戦前までは「天皇のために命を捧げた完璧な忠臣(大楠公)」として神格化されていました。
しかし、歴史的に見ると彼は御家人(正式な武士)ではなく、当時「悪党(あくとう)」と呼ばれていたアウトロー集団(新興の武装商人や流通業者)の出身であったとする説が有力です。中世における悪党とは、古い権威に縛られず、実力行使で利益を奪い合うバイオレンスな集団のことでした。

くすのきまさしげ
楠木正成
01
楠木正成(くすのきまさしげ)は、戦前までは「天皇のために命を捧げた完璧な忠臣(大楠公)」として神格化されていました。
しかし、歴史的に見ると彼は御家人(正式な武士)ではなく、当時「悪党(あくとう)」と呼ばれていたアウトロー集団(新興の武装商人や流通業者)の出身であったとする説が有力です。中世における悪党とは、古い権威に縛られず、実力行使で利益を奪い合うバイオレンスな集団のことでした。
02
悪党出身だからこそ、正成の戦術には「名乗りを上げての一騎打ち」のような武士のルールが一切通用しませんでした。
有名な「千早城の戦い」では、崖を登ってくる幕府の大軍に対して、熱湯や大石はもちろん、集めておいた「糞尿(ウンコ)」を上から浴びせかけるという、敵のプライドを徹底的にへし折るゲリラ戦を展開しました。圧倒的な兵力差を、情報戦と悪知恵(地形の利用や藁人形の罠など)で覆す、日本屈指のトリックスターだったのです。
03
倒幕後、後醍醐天皇の政治が失敗し、足利尊氏が反旗を翻します。
正成は「尊氏の人気には勝てません。ここは一度、尊氏と和睦(または京都を捨ててゲリラ戦)するべきです」と、極めて現実的で冷徹なアドバイスを天皇に進言しました。しかし天皇の側近たちに「武士の風上にも置けない卑怯な作戦だ」と却下されてしまいます。自分の意見が通らないとわかっていながら、正成は「絶対に負ける戦(湊川の戦い)」に出陣し、見事に玉砕して果てました。究極のリアリストが最後に見せた、不器用すぎる忠義の姿です。
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