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和歌も武芸もトップクラスの「万能の天才」
後鳥羽天皇(上皇)は、歴代天皇の中でも際立って多才な人物でした。『新古今和歌集』を自らプロデュースして選考に関わるほどの超一流の文化人でありながら、流鏑馬(やぶさめ)や水泳、相撲などのスポーツ(武芸)も好み、自ら武士たちを集めて軍事訓練を行うようなアクティブなカリスマでした。

ごとばてんのう
後鳥羽天皇
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後鳥羽天皇(上皇)は、歴代天皇の中でも際立って多才な人物でした。『新古今和歌集』を自らプロデュースして選考に関わるほどの超一流の文化人でありながら、流鏑馬(やぶさめ)や水泳、相撲などのスポーツ(武芸)も好み、自ら武士たちを集めて軍事訓練を行うようなアクティブなカリスマでした。
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さらに驚くべきは、彼が「刀鍛冶」を趣味としていたことです。全国から名工を御所に呼び寄せ、天皇自らも相槌を打って(または実際に焼き入れをして)刀を鍛えたと伝えられています。天皇が作ったとされる刀には、皇室の紋章である菊の花が彫られており(菊一文字など)、彼がいかに武力に執着していたかがわかります。
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「自分の命令が出れば、武士たちは皆こちらに味方するはずだ」。自信満々で鎌倉幕府に討伐の兵を挙げた後鳥羽上皇でしたが、北条政子の演説で結束した幕府軍の前に大敗北を喫します。絶対的な権力者であった彼が、隠岐島(島根県)に島流しにされるという屈辱は、朝廷の権威が武士の力に完全に屈したことを決定づけました。
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