後鳥羽天皇

ごとばてんのう

後鳥羽天皇

後鳥羽天皇|刀を打つハイスペック天皇。後鳥羽天皇と「承久の乱」

基本情報

名前
後鳥羽天皇
読み
ごとばてんのう
生没年
1180年〜1239年
時代
鎌倉時代
立場・肩書
第82代天皇(
主なゆかりの地
鎌倉幕府/隠岐島/島根県/文武両道/鎌倉
代表的な出来事
第82代天皇(1180年〜1239年)。新古今和歌集の編纂を命じるなど文化人として優れる一方、武芸を好み、鎌倉幕府(北条義時)を討伐するために「承久の乱」を起こしたが敗れ、隠岐島へ流罪となった。
関連人物
高倉天皇・後白河天皇・代安徳天皇・坊門信隆

01

和歌も武芸もトップクラスの「万能の天才」

後鳥羽天皇(上皇)は、歴代天皇の中でも際立って多才な人物でした。『新古今和歌集』を自らプロデュースして選考に関わるほどの超一流の文化人でありながら、流鏑馬(やぶさめ)や水泳、相撲などのスポーツ(武芸)も好み、自ら武士たちを集めて軍事訓練を行うようなアクティブなカリスマでした。

和歌も武芸もトップクラスの「万能の天才」
天皇自らが「刀を打つ」趣味

02

天皇自らが「刀を打つ」趣味

さらに驚くべきは、彼が「刀鍛冶」を趣味としていたことです。全国から名工を御所に呼び寄せ、天皇自らも相槌を打って(または実際に焼き入れをして)刀を鍛えたと伝えられています。天皇が作ったとされる刀には、皇室の紋章である菊の花が彫られており(菊一文字など)、彼がいかに武力に執着していたかがわかります。

03

カリスマを打ち砕いた「承久の乱」

「自分の命令が出れば、武士たちは皆こちらに味方するはずだ」。自信満々で鎌倉幕府に討伐の兵を挙げた後鳥羽上皇でしたが、北条政子の演説で結束した幕府軍の前に大敗北を喫します。絶対的な権力者であった彼が、隠岐島(島根県)に島流しにされるという屈辱は、朝廷の権威が武士の力に完全に屈したことを決定づけました。

カリスマを打ち砕いた「承久の乱」

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