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父親が宴会で暗殺され、8歳でいきなりトップに
「万人恐怖」と恐れられた父・義教が、赤松氏の屋敷で突然暗殺(嘉吉の乱)されてしまったため、幕府はパニックに陥りました。「とりあえず、息子を将軍にして幕府を存続させよう!」と、白羽の矢が立ったのが当時8歳の義勝でした。もちろん政治などできるわけがなく、実際の幕府の運営は、母親である日野重子(ひの しげこ)や、有力な大名たちが合議制で行うことになりました。

あしかがよしかつ
足利義勝
室町幕府7代将軍・足利義勝(あしかが よしかつ)。恐ろしい父親(義教)が暗殺されたため、急遽わずか8歳で将軍に祭り上げられた男の子です。しかし、彼の将軍としての期間は「たったの8ヶ月」。室町幕府の中で最も在職期間が短く、そして最も不運だった少年将軍の、悲しすぎる短い人生を振り返ります。
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「万人恐怖」と恐れられた父・義教が、赤松氏の屋敷で突然暗殺(嘉吉の乱)されてしまったため、幕府はパニックに陥りました。「とりあえず、息子を将軍にして幕府を存続させよう!」と、白羽の矢が立ったのが当時8歳の義勝でした。もちろん政治などできるわけがなく、実際の幕府の運営は、母親である日野重子(ひの しげこ)や、有力な大名たちが合議制で行うことになりました。
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将軍が子供の場合、実権を握るのは決まってその親族です。義勝の母親である「日野重子」は非常に権力欲の強い女性でした。彼女は夫(義教)が暗殺されたドサクサに紛れて、幕府の実権を掌握。大名たちも彼女の意向を無視することはできず、室町幕府は事実上、この強烈な「将軍のママ」によって動かされることになります。義勝自身は、完全にママの背中に隠れたお飾りでした。

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義勝の悲劇は、将軍就任からわずか8ヶ月後に訪れます。突如として高熱と激しい下痢に襲われ、数日後にあっけなく死亡してしまったのです(死因は赤痢が有力)。享年10歳。しかし当時の人々は「暗殺された赤松氏の怨霊の呪いだ!」と噂し、中には「乗っていた馬から落ちて死んだらしい」というデマまで飛び交いました。あまりにも不自然で早すぎる死は、室町幕府の権威が完全に崩れ去る前触れとなったのです。
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