01
世界を驚かせた「破傷風菌の純粋培養」
北里柴三郎(きたさとしばさぶろう)は、ドイツへ留学し、細菌学の巨星・コッホの元で学びました。
当時、破傷風菌は空気に触れると死んでしまうため、純粋に取り出して培養するのは「絶対に不可能」と言われていました。しかし北里は、酸素を遮断する特殊な装置を自ら考案し、世界で初めて純粋培養に成功。さらに、毒素に対する抗体を利用した「血清療法」を開発し、一躍世界的なスーパースター(ノーベル賞級の功績)となりました。

きたさとしばさぶろう
北里柴三郎
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北里柴三郎(きたさとしばさぶろう)は、ドイツへ留学し、細菌学の巨星・コッホの元で学びました。
当時、破傷風菌は空気に触れると死んでしまうため、純粋に取り出して培養するのは「絶対に不可能」と言われていました。しかし北里は、酸素を遮断する特殊な装置を自ら考案し、世界で初めて純粋培養に成功。さらに、毒素に対する抗体を利用した「血清療法」を開発し、一躍世界的なスーパースター(ノーベル賞級の功績)となりました。
02
帰国後の北里は、日本の医学界の古い権威(東京帝国大学医学部など)と激しく対立しました。
彼は学閥や肩書きを嫌い、実力主義を貫きました。正しいと思ったことは相手が誰であろうと真っ向から反論し、怒ると雷が落ちたように大声で怒鳴りつけるため、「ドン・キホーテ」や「雷親父」と呼ばれて恐れられました。しかし、その怒りは常に「日本の公衆衛生を良くするため」という強い信念に基づくものでした。
03
そんな北里ですが、恩義には並外れて厚い人物でした。帰国後、対立する東大から冷遇されて研究所を持てなかった彼に、私財を投じて伝染病研究所を作ってくれたのが福澤諭吉です。
のちに福澤が亡くなり、慶應義塾大学に医学部が新設されることになった際、すでに大御所となっていた北里は「福澤先生の恩返しがしたい」と、無給(タダ)で初代医学部長を引き受け、弟子たちを引き連れて慶應医学部の立ち上げに尽力しました。冷徹な科学の頭脳と、熱い義理人情の心を併せ持つ、明治を代表する偉人です。
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