01
10年で二度の遷都という異例
桓武天皇は784年、平城京から長岡京へ遷都した。しかしその10年後の794年、さらに平安京へ移る。都づくりには莫大な人員と物資が必要で、短期間での再遷都は異例だった。
長岡京を離れた理由については、洪水などの自然条件、政治的事情、造営上の問題など複数の要因が指摘されている。単純に「怨霊が怖かったから」と一つの原因に決めつけることはできない。

かんむてんのう
桓武天皇
01
桓武天皇は784年、平城京から長岡京へ遷都した。しかしその10年後の794年、さらに平安京へ移る。都づくりには莫大な人員と物資が必要で、短期間での再遷都は異例だった。
長岡京を離れた理由については、洪水などの自然条件、政治的事情、造営上の問題など複数の要因が指摘されている。単純に「怨霊が怖かったから」と一つの原因に決めつけることはできない。
02
785年、長岡京造営の中心人物だった藤原種継が暗殺され、皇太子の早良親王は事件への関与を疑われた。親王は無実を訴えながら絶食し、淡路へ移送される途中で亡くなった。
その後、皇族の病や死が相次ぎ、792年には皇太子の病について早良親王の祟りが卜占で示されたとされる。つまり、早良親王の死と災厄を結び付ける認識が朝廷側に生まれていたことは確認できる。
03
794年、桓武天皇は平安京へ遷都した。のち800年には早良親王に「崇道天皇」の追号を贈り、その霊を鎮める措置を取っている。
ここで大切なのは、平安京遷都と怨霊への恐れを直結させすぎないことだ。長岡京からの遷都には複数の事情があり、その一方で早良親王をめぐる祟りへの恐れも現実に存在した。二つを分けて見ると、桓武朝の緊張感がよく分かる。
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