毛利元就

もうりもとなり

毛利元就

毛利元就|中国地方の覇者は、戦国屈指の「心配性」だった。「三兄弟が力を合わせろ」という有名なエピソードの元ネタは、ドン引きするほど長い説教の手紙に書かれていた。

基本情報

名前
毛利元就
読み
もうりもとなり
生没年
1497年〜1571年
時代
戦国時代
立場・肩書
武将、中国地方の大名
主なゆかりの地
安芸(広島県)、吉田郡山城
代表的な出来事
中国地方の勢力拡大、三子教訓状
関連人物
毛利隆元、吉川元春、小早川隆景

01

「三本の矢」はフィクション

「一本の矢は簡単に折れるが、三本束ねれば折れない。だから三兄弟(隆元、吉川元春、小早川隆景)で力を合わせなさい」という有名な三矢の教え。実はこれ、史実として確認できる記録はなく、江戸時代以降に作られたフィクションだと考えられています。

そもそも、長男の隆元は元就よりも先に急死しているため、晩年に三人が揃って矢を折るようなシチュエーション自体が起こり得ませんでした。

「三本の矢」はフィクション
実際の遺訓は「長さ2.85メートルの説教手紙」

02

実際の遺訓は「長さ2.85メートルの説教手紙」

では、元ネタは何だったのでしょうか。それは元就が三人の息子宛てに書いた「三子教訓状(十四カ条の教訓状)」という自筆の手紙です。

この手紙、とにかく長いのです。細かい字でびっしりと書かれた巻物は、広げると約2.85メートルにも及びます。「毛利の苗字を絶対に絶やすな」「神仏を大切にしろ」「酒は飲みすぎるな」といった小言から、「私(元就)は小さい頃から苦労して、運だけでここまで生き残ってきた。お前たちには本当に心配しかない」というネガティブな愚痴まで、父親の粘着質な心配がこれでもかと詰め込まれています。

03

強さの秘密は「異常なまでの用心深さ」

元就がこれほどまでに心配性だったのは、彼が幼い頃に両親を亡くし、家臣に城を乗っ取られて乞食同然の生活を経験したからです。

誰も信じられない地獄のような環境から、謀略(だまし討ち)を繰り返してのし上がってきた元就は、周囲の人間を徹底的に疑い、考え得るすべてのリスクを潰すことで勝利を重ねました。圧倒的な強さの根源は、大胆さではなく、「絶対に失敗したくない」という強烈なパラノイア(偏執狂)的な用心深さにあったのです。

強さの秘密は「異常なまでの用心深さ」

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