黒田官兵衛

くろだかんべえ

黒田官兵衛

黒田官兵衛|秀吉もビビる天才軍師の正体は「超ドケチな愛妻家」

基本情報

名前
黒田官兵衛(黒田孝高/黒田如水)
読み
くろだかんべえ
生没年
1546年〜1604年
時代
戦国時代〜江戸時代初期
立場・肩書
武将、豊臣秀吉の軍師、キリシタン大名
主なゆかりの地
姫路(兵庫県)、中津(大分県)、福岡(福岡県)
代表的な出来事
豊臣秀吉の天下統一を支えた軍略、九州平定、関ヶ原後の中津・福岡での活動
関連人物
豊臣秀吉、黒田長政、光(てる)

01

使い終わった紙は捨てない!「もったいない」の精神

黒田官兵衛は、頭がキレすぎるために豊臣秀吉から「俺の次に天下を取るのはアイツだ」と警戒され続けた人物です。しかし、日常生活の彼は信じられないほどの「ドケチ(倹約家)」でした。

家臣が不要になった紙を捨てようとしたところ、官兵衛はそれを拾い上げ、「裏面がまだ白いじゃないか!もったいない!」と怒り、メモ帳として再利用させました。また、庭に落ちているゴミや木切れまで自分で拾い集め、薪の代わりに燃やすなど、戦国大名らしからぬSDGsな生活を徹底していました。

使い終わった紙は捨てない!「もったいない」の精神
ドケチの理由は「家臣にお金を配るため」

02

ドケチの理由は「家臣にお金を配るため」

ただのケチなおじさんかと思いきや、これには理由がありました。彼は「武具や日用品には一切お金をかけないが、家臣への褒美や恩賞には惜しみなく大金を使う」という確固たるポリシーを持っていたのです。

「金銀は貯め込むものではなく、有意義に使うためにある」と語り、普段ケチケチして貯めたお金を、戦で手柄を立てた部下にポンと全額与えました。この究極のアメとムチ(?)により、黒田軍の武士たちは彼に絶対の忠誠を誓い、最強の軍団となったのです。

03

戦国時代には奇跡的な「側室を持たない」一途さ

大名であれば側室(愛人)を何人も持つのが当たり前だった戦国時代において、官兵衛は正室である「光(てる)」以外の女性を生涯一度も持ちませんでした。

キリシタン(一夫一婦制を重んじる)であったことも影響していると思われますが、それ以上に夫婦の絆が非常に強かったのです。冷酷な策士のイメージとは裏腹に、落ちたゴミを拾い、部下に気前よくボーナスを払い、妻を一途に愛し抜く。官兵衛は戦国時代で最も「堅実で家庭的なお父さん」でした。

戦国時代には奇跡的な「側室を持たない」一途さ

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