織田信長

おだ のぶなが

織田信長

織田信長|短気な魔王? 実は部下の夫婦喧嘩を仲裁する「気遣い上司」

基本情報

名前
織田信長(おだ のぶなが)
読み
おだ のぶなが
生没年
1534年〜1582年
時代
戦国時代〜安土桃山時代
立場・肩書
戦国大名、右大臣、右近衛大将
主なゆかりの地
愛知県/岐阜県/滋賀県近江八幡市/京都府京都市
代表的な出来事
「鳴かぬなら殺してしまえ」←一言も言ってません
関連人物
豊臣秀吉、徳川家康、明智光秀

01

「鳴かぬなら殺してしまえ」←一言も言ってません

織田信長といえば、冷酷で短気な「魔王」のイメージが定着しています。 その性格を決定づけているのが、「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」という有名な句でしょう。思い通りにならないなら力で排除する、いかにも信長らしい合理性と残虐さを表した言葉として知られています。

しかし、これは信長本人が残した発言として確認されている言葉ではありません。

この句が確認できる有名な資料の一つが、信長の死から200年以上後に書かれた、江戸時代後期の平戸藩主・松浦静山の随筆『甲子夜話(かっしやわ)』です。巻53では、信長・秀吉・家康の性格に重ねた句として紹介され、もともと本人たちに仮託したもの、つまり後世の人がその人物らしく作った話であることが示されています。いわば「イメージ川柳」なのです。

現代の私たちが思い描く「短気ですぐ人を斬る信長像」には、江戸時代以降の読み物や、現代のドラマ・漫画などによって強調されたキャラクターも重なっています。実際の手紙や記録を真面目に読んでいくと、この「殺してしまえ」の句とはまったく違う、妙に人間臭くて面倒見のいい信長の姿が浮かび上がってきます。

「鳴かぬなら殺してしまえ」←一言も言ってません

02

妻の愚痴を聞き、部下を「ハゲネズミ」とディスる細やかな気遣い

では、実際の信長はどのような言葉を残しているのでしょうか。 それを象徴するのが、部下である豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)の妻・ねね(おね)に宛てて書いた一通の手紙です。

秀吉との夫婦関係に悩むねねに対し、信長は励ましの手紙を送っています。天下統一を進める上司が、部下夫婦のかなり私的な問題にまで気を配っていたわけです。

手紙の内容を現代風に言えば、「久しぶりに会ったけど、あなたはますます美しくなっているね」とまずは妻をベタ褒め。そのうえで、「あのハゲネズミ(秀吉)があなたに不満を言うなんて言語道断だ。あいつがあなた以上の女性を見つけることなどないのだから、奥さんとして堂々としていなさい。嫉妬しすぎるのも良くないよ」と、まさかの夫婦喧嘩の仲裁と人生相談に乗っているのです。

しかも手紙の最後には、「この手紙を秀吉にも見せてやりなさい」という趣旨まで書き添えるアフターフォロー付き。冷酷な魔王どころか、部下の家庭の問題にも目を向け、奥さんを励ます「気遣い上司」の姿がそこにあります。

妻の愚痴を聞き、部下を「ハゲネズミ」とディスる細やかな気遣い

03

残虐な魔王どころか、住居と毎年の食事まで面倒を見る

信長の家臣であった太田牛一が記した『信長公記(しんちょうこうき)』には、信長のイメージと大きく違うエピソードが残っています。舞台は、美濃と近江の境にある山中の集落です。

そこには「山中の猿」と呼ばれる、身体に障害があり、物乞いをして暮らす男性がいました。信長は以前から上洛の行き帰りにこの男性を見かけ、事情を気にしていました。そして1575年、京都へ向かう途中にそのことを思い出し、木綿20反を持参したと記されています。

それだけではありません。信長は地元の人たちに、この布の半分を使って小屋を建て、毎年、麦や米を少しずつ与えて飢えないようにしてほしいと頼みました。

つまり、一度だけ物を渡して終わりではありません。「住む場所」と「これからの食事」まで周囲に頼んでいるのです。そこまで生活の仕組みを具体的に組み立てるのか、と驚かされます。

この対応に、山中の人々だけでなく信長のお供まで涙を流した、と『信長公記』には記されています。泣いたのは、信長本人ではありません。

後世には「魔王」のイメージまでついた一方で、一人の暮らしを支える住居と毎年の食事まで手配していた。「鳴かぬなら殺してしまえ」という乱暴なイメージだけでは決して見えてこない、細やかな一面を持った不思議な人物。それが、記録から浮かび上がる織田信長の面白さなのです。

残虐な魔王どころか、住居と毎年の食事まで面倒を見る

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