大岡忠相

おおおか ただすけ

大岡忠相

大岡忠相|名裁判は落語のネタ? 大岡越前の「実務官僚」としての素顔

基本情報

名前
大岡忠相
読み
おおおか ただすけ
生没年
1677年〜1752年
時代
江戸時代中期
立場・肩書
幕臣、町奉行(
主なゆかりの地
巨大都市/東京都/西大平藩初代藩/代々西大平藩/岩槻藩/江戸
代表的な出来事
江戸時代中期の幕臣、町奉行(1677年〜1752年)。大岡越前守。徳川吉宗の「享保の改革」を実務面で支え、町火消の創設や小石川養生所の設立、物価対策などに尽力した。
関連人物
忠光・北条氏重・美濃守大岡忠高

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「大岡裁き」のほとんどはフィクション

「3両の金を落とした男と拾った男の喧嘩を、奉行が1両足して『三方一両損』で解決する」といった有名な「大岡裁き」のエピソード。実はこれらは、大岡忠相本人が裁いた記録はなく、後世の講談や落語で(中国やインドの古い裁判話などを下敷きにして)面白おかしく創作されたものです。実際の裁判記録を見ると、彼は法律(公事方御定書など)に則って、極めて淡々と厳格に裁きを下していました。

「大岡裁き」のほとんどはフィクション
町奉行は裁判官ではなく「都知事」

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町奉行は裁判官ではなく「都知事」

「町奉行」というと裁判官のイメージが強いですが、実際は江戸という巨大都市の「行政・司法・警察」のすべてを取り仕切る、現代で言えば「東京都知事 兼 警視総監」のような超激務の役職でした。

忠相の最大の功績は、木造の江戸の町を火事から守るための「町火消(いろは四十七組)」の創設や、防火帯の設置といった都市計画(防災インフラの整備)を推し進めたことです。

03

吉宗からの絶対的な信頼

徳川吉宗は忠相の能力を高く評価し、通常は数年で交代する町奉行という激務に、なんと20年近くも忠相を据え置き(こき使い)ました。晩年には大名にまで出世(寺社奉行へ昇進)するという、旗本としては異例の大出世を果たします。人情話の主人公ではなく、上司の無理難題に応え続けた、日本屈指の有能な実務官僚でした。

吉宗からの絶対的な信頼

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