最澄

さいちょう

最澄

最澄|空海にフラれた天才。最澄の「マジメすぎる悲劇」

基本情報

名前
最澄
読み
さいちょう
生没年
767年〜822年
時代
平安時代初期
立場・肩書
僧侶(
主なゆかりの地
比叡山延暦寺/比叡山/唐/中国
代表的な出来事
平安時代初期の僧侶(767年〜822年)。伝教大師(でんぎょうだいし)。遣唐使として唐へ渡り、帰国後に天台宗を開宗。比叡山延暦寺を創建し、大乗戒壇の設立に尽力した。
関連人物
泰範

01

国費留学生と、無名の私費留学生

最澄(さいちょう)は、天皇から直接期待されたエリート国費留学生として中国(唐)へ渡りました。一方、同じ船に乗っていた空海は、無名の私費留学生でした。最澄は予定通り仏教の様々な教えを学んで帰国しますが、空海は最澄が学べなかった「密教」の奥義をたった2年で完全マスターして帰国してしまいます。

国費留学生と、無名の私費留学生
ライバル空海への「プライドを捨てた弟子入り」

02

ライバル空海への「プライドを捨てた弟子入り」

最澄は非常に真面目で素直な性格でした。年下で身分も低かった空海が最先端の密教を持ち帰ったと知ると、プライドを捨てて自ら空海に教えを乞い、弟子入り(受法)を申し出ました。最澄は空海から何度も経典を借りて勉強を続けます。

03

「本貸して」「ダメ」からの絶交

しかし、ある日最澄が「理趣釈経(密教の重要な経典)を貸してください」と手紙を送ると、空海から「密教は本を読んで頭で理解するものではない。修行もせずに本だけ借りようとする態度はふざけている!」とブチギレた返事が来て、断られてしまいます。さらに、最澄が空海のもとへ派遣していた一番弟子(泰範)も「空海先生の元に残ります」と裏切ってしまい、二人は完全に絶交状態となりました。不器用なほど真面目な最澄の苦悩が伝わるエピソードです。

「本貸して」「ダメ」からの絶交

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