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「素浪人からの大出世」は江戸時代の創作
北条早雲(ほうじょうそううん)といえば、歴史ファンには「身分もわからないただの素浪人が、伊豆に流れ着いて実力一つで大名にのし上がった」という、戦国ドリーム(下克上)の体現者として長く語られてきました。
しかし近年、古い書状などの研究が進んだ結果、この「浪人説」は江戸時代の軍記物語などが面白おかしく作ったフィクション(創作)であることがほぼ確定しています。

ほうじょうそううん
北条早雲
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北条早雲(ほうじょうそううん)といえば、歴史ファンには「身分もわからないただの素浪人が、伊豆に流れ着いて実力一つで大名にのし上がった」という、戦国ドリーム(下克上)の体現者として長く語られてきました。
しかし近年、古い書状などの研究が進んだ結果、この「浪人説」は江戸時代の軍記物語などが面白おかしく作ったフィクション(創作)であることがほぼ確定しています。
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では、本当の彼は何者だったのでしょうか。
早雲の本来の名字は「伊勢(いせ)」と言い、室町幕府において将軍に直接仕え、政所執事(まんどころしつじ=財政・事務のトップ)などを代々務める「超・名門エリート一族」の出身だったことがわかっています。つまり彼は、何のツテもない浪人ではなく、幕府の権威や最新の政治情報、強大なコネクションをフル活用できるインテリ官僚だったのです。
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早雲の有名なエピソードとして、小田原城を奪う際に「牛の角に松明を括り付けて敵陣に放ち、大軍に見せかけた(火牛の計)」という伝説がありますが、これも事実ではなく後世の創作(推測)だと考えられています。
また、「60歳を過ぎてから国盗りを始めた遅咲きの英雄(88歳没)」とされていましたが、これも生年がズレていた可能性が高く、「実はもっと若かった(60代没)」という説が現在の主流です。とはいえ、エリートの地位を捨てて新しい国造りに挑み、見事に成功させた彼の手腕が、戦国時代の扉を開けた偉大な業績であることに変わりはありません。
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