沖田総司

おきたそうじ

沖田総司

沖田総司|美少年伝説の崩壊? 沖田総司の「ヒラメ顔」と子供好き

基本情報

名前
沖田総司
読み
おきたそうじ
生没年
1842年頃〜1868年(生年は諸説あり)
時代
幕末
立場・肩書
幕末の武士、新選組一番隊組長
主なゆかりの地
京都・壬生、江戸
代表的な出来事
池田屋事件など新選組の活動、結核を患って江戸で死去
関連人物
近藤勇、土方歳三、永倉新八

01

「青白い美少年」は司馬遼太郎らの創作

幕末の悲劇のアイドル・沖田総司ですが、実は生前の彼の写真は一枚も残っていません。私たちが知っている「色白で線の細い美少年」というイメージは、昭和の小説家(司馬遼太郎など)や映画、漫画のキャラクター設定が世間に定着したものです。

では実際の顔はどうだったのか。生前の沖田を知る親戚や関係者の証言を集めると、「背が高く、肩幅が広く、色黒で、ヒラメのような顔(平たい顔)をしていた」という、イケメンとは程遠いリアルな外見が浮かび上がってきます。

「青白い美少年」は司馬遼太郎らの創作
剣の天才は「子供好きの近所のお兄さん」

02

剣の天才は「子供好きの近所のお兄さん」

凄腕の暗殺者としてのイメージが強いですが、京都での日常の彼は驚くほど気さくでした。

壬生(新選組の屯所があった場所)の住人たちの証言によると、沖田はいつも冗談を言ってよく笑い、近所の子供たちを集めては境内で鬼ごっこや相撲をして遊んでいたそうです。新選組の重い空気の中で、彼だけは常に陽気で、周囲を和ませるムードメーカーでした。暗殺集団のトップ剣士と、子供好きの優しい青年というギャップが、彼の真の魅力です。

03

近藤勇を最後まで慕い続けた最期

天才剣士でありながら結核に倒れた沖田は、鳥羽・伏見の戦いの後、戦線から離脱して江戸の療養所で隠れるように看病を受けていました。

すでに近藤勇が処刑されていたにもかかわらず、周囲の人間は沖田を悲しませまいと彼にはその事実を隠していました。沖田は死の直前まで「近藤先生から手紙は来ませんか」「近藤先生はどうしているでしょう」と慕う人の身を案じながら、静かに息を引き取りました。史実の沖田もまた、別のベクトルで非常にドラマチックで純粋な人物だったのです。

近藤勇を最後まで慕い続けた最期

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