徳川吉宗

とくがわ よしむね

徳川吉宗

徳川吉宗|暴れん坊より「ドケチ」? 徳川吉宗の超・実務主義

基本情報

名前
徳川吉宗
読み
とくがわ よしむね
生没年
1684年〜1751年
時代
江戸時代
立場・肩書
第8代将軍(
主なゆかりの地
江戸幕府/紀州藩/和歌山藩/江戸
代表的な出来事
江戸幕府の第8代将軍(1684年〜1751年)。紀州藩主から将軍に就任。「享保の改革」を主導し、質素倹約、新田開発、公事方御定書(法律)の制定などを行い、幕府中興の祖と呼ばれる。
関連人物
初代将軍家康

01

暴れるどころか「超・地味な生活」

テレビドラマの『暴れん坊将軍』では、身分を隠して江戸の町に出歩いて悪を成敗しますが、史実の吉宗がそんなことをした記録は一切ありません。

実際の彼は身長が180cm近くある大柄な人物でしたが、性格は極めてストイックでした。幕府の赤字を解消するため、将軍自らが絹の服を脱ぎ捨てて「木綿の服」を着て、食事も朝夕の「一汁三菜」に制限するなど、徹底した倹約(ケチ)を大奥や武士たちに強制しました。

暴れるどころか「超・地味な生活」
意見書「目安箱」の本当の目的

02

意見書「目安箱」の本当の目的

吉宗が設置した「目安箱(めやすばこ)」は、庶民の意見を聞く画期的なシステムとして有名です。ここから小石川養生所(無料の病院)や、町火消の創設などが実現しました。しかし、最大の目的は「現場のリアルな経済情報や、役人の不正(汚職)を直接吸い上げるための監視システム」でした。実務主義の彼にとって、情報こそが最大の武器だったのです。

03

失敗も恐れない「米将軍」

吉宗は米の価格安定に異常なほどの情熱を注いだため「米将軍」と呼ばれました。新田開発を奨励し、年貢の税率を上げるなど、あの手この手で財政再建を試みました。時には相場に手を出しすぎて大失敗し、米価が乱高下して江戸の町民から反感を買うこともありました。常にトライ&エラーを繰り返す、不屈のCEO(最高経営責任者)のような将軍です。

失敗も恐れない「米将軍」

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