伊達政宗

だてまさむね

伊達政宗

伊達政宗|独眼竜の政務と、料理や手紙ににじむ人間味

基本情報

名前
伊達政宗
読み
だてまさむね
生没年
1567年〜1636年
時代
安土桃山〜江戸初期
立場・肩書
仙台藩初代藩主・武将
主なゆかりの地
宮城県仙台市/山形県米沢市/岩手県平泉町
代表的な出来事
仙台藩の基盤形成、慶長遣欧使節の派遣
関連人物
伊達成実・片倉景綱

01

筋金入りの「料理オタク」

政宗は「馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理してもてなすこと」という名言を残した、戦国屈指の料理研究家でした。 彼は単なるグルメではなく、仙台味噌の大量生産を指揮したり、凍り豆腐(高野豆腐)やずんだ餅のルーツに関わったとも伝えられています。豊臣秀吉や徳川家康、将軍・徳川家光らを屋敷に招いた際には、自ら献立を考案して毒見まで行い、最高級のもてなしを提供しました。

筋金入りの「料理オタク」
残された手紙に見る「人間臭すぎる言い訳」

02

残された手紙に見る「人間臭すぎる言い訳」

政宗は非常に筆まめで、現存する手紙が極めて多い武将です。その内容は、勇ましいものばかりではありません。 「昨日飲みすぎて二日酔いになり、約束に行けませんでした。本当にごめんなさい」と家臣に謝る手紙や、「娘が可愛いから会いに来て」と身内に送る手紙など、威厳よりも愛嬌を感じさせるものが多数残っています。自らの筆でこまめに連絡を取るマメさこそが、彼の処世術でした。

03

派手なパフォーマンスで生き残る

天下取りには遅れて生まれましたが、政宗は「見せ方(プロデュース)」の天才でした。 秀吉に遅参を咎められた際、白装束(死装束)に金箔を貼った十字架を背負って現れ、その度胸と派手さで許しを勝ち取りました。この自己プロデュース能力(伊達男の語源)と、細やかな気配り(手紙や料理)のバランス感覚があったからこそ、彼は江戸時代まで無事に生き残り、仙台藩の礎を築くことができたのです。

派手なパフォーマンスで生き残る

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