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清水寺に残された「ネガティブすぎる願文」
足利尊氏といえば、天皇に逆らって新しい幕府を開いた野心家、というイメージを持たれがちです。しかし、彼が京都の清水寺に奉納した自筆の願文(神仏への手紙)には、全く違う姿が記録されています。
「この世は嘘ばかりで辛い。どうか私を出家させてください。そして、私の弟(足利直義)にすべての幸福を与えてください」。自らの天下取りへの野望など一切なく、ただ弟の幸せを祈り、自分はドロップアウトしたいという切実な悲鳴が書かれていました。

あしかがたかうじ
足利尊氏
01
足利尊氏といえば、天皇に逆らって新しい幕府を開いた野心家、というイメージを持たれがちです。しかし、彼が京都の清水寺に奉納した自筆の願文(神仏への手紙)には、全く違う姿が記録されています。
「この世は嘘ばかりで辛い。どうか私を出家させてください。そして、私の弟(足利直義)にすべての幸福を与えてください」。自らの天下取りへの野望など一切なく、ただ弟の幸せを祈り、自分はドロップアウトしたいという切実な悲鳴が書かれていました。
02
尊氏のメンタルの不安定さは、戦場でも発揮されました。後醍醐天皇と決裂して朝廷の軍と戦うことになった際、彼は「天皇に弓を引くなど恐れ多い」と泣き言を言い、寺に引きこもって髪を切り、本当に出家しようとしました。
困り果てた弟の直義や部下たちが必死に戦ってピンチに陥ると、ようやく「弟を見殺しにはできない!」と飛び出してきて、圧倒的な強さで敵を打ち破るのです。やる気はないが、やれば誰よりも強い。このアンバランスさが、多くの武将を惹きつけました。
03
野心がなく、すぐに落ち込む尊氏。しかし、彼のもとには多くの武士が集まりました。その理由は、彼の異常なまでの「執着のなさ(気前の良さ)」にありました。
戦に勝っても自分は恩賞を欲しがらず、部下たちにポンポンと土地を与えてしまいました。袖の下(賄賂)をもらっても、それをそのまま別の誰かにあげてしまうような無欲さがありました。緻密な計算で動く弟・直義との強力なタッグ(後に骨肉の争いとなりますが)と、尊氏自身の「放っておけない愛嬌」が、室町幕府という巨大な組織を立ち上げる原動力となったのです。
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