足利尊氏

あしかがたかうじ

足利尊氏

足利尊氏|「出家したい」と嘆く初代将軍・足利尊氏のメンタルヘルス

基本情報

名前
足利尊氏
読み
あしかがたかうじ
生没年
1305年〜1358年
時代
鎌倉時代末期〜南北朝時代
立場・肩書
武将/室町幕府初代将軍
主なゆかりの地
京都府京都市(清水寺)
代表的な出来事
鎌倉幕府打倒、後醍醐天皇との対立、室町幕府の開設
関連人物
足利直義・後醍醐天皇

01

清水寺に残された「ネガティブすぎる願文」

足利尊氏といえば、天皇に逆らって新しい幕府を開いた野心家、というイメージを持たれがちです。しかし、彼が京都の清水寺に奉納した自筆の願文(神仏への手紙)には、全く違う姿が記録されています。

「この世は嘘ばかりで辛い。どうか私を出家させてください。そして、私の弟(足利直義)にすべての幸福を与えてください」。自らの天下取りへの野望など一切なく、ただ弟の幸せを祈り、自分はドロップアウトしたいという切実な悲鳴が書かれていました。

清水寺に残された「ネガティブすぎる願文」
戦場で突然「引きこもる」総大将

02

戦場で突然「引きこもる」総大将

尊氏のメンタルの不安定さは、戦場でも発揮されました。後醍醐天皇と決裂して朝廷の軍と戦うことになった際、彼は「天皇に弓を引くなど恐れ多い」と泣き言を言い、寺に引きこもって髪を切り、本当に出家しようとしました。

困り果てた弟の直義や部下たちが必死に戦ってピンチに陥ると、ようやく「弟を見殺しにはできない!」と飛び出してきて、圧倒的な強さで敵を打ち破るのです。やる気はないが、やれば誰よりも強い。このアンバランスさが、多くの武将を惹きつけました。

03

なぜ人々は「頼りない将軍」についていったのか

野心がなく、すぐに落ち込む尊氏。しかし、彼のもとには多くの武士が集まりました。その理由は、彼の異常なまでの「執着のなさ(気前の良さ)」にありました。

戦に勝っても自分は恩賞を欲しがらず、部下たちにポンポンと土地を与えてしまいました。袖の下(賄賂)をもらっても、それをそのまま別の誰かにあげてしまうような無欲さがありました。緻密な計算で動く弟・直義との強力なタッグ(後に骨肉の争いとなりますが)と、尊氏自身の「放っておけない愛嬌」が、室町幕府という巨大な組織を立ち上げる原動力となったのです。

なぜ人々は「頼りない将軍」についていったのか

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