聖徳太子

しょうとくたいし

聖徳太子

聖徳太子|「聖徳太子」と厩戸皇子は、どこまで同じ人物なのか

基本情報

名前
聖徳太子
読み
しょうとくたいし
生没年
574〜622
時代
飛鳥時代
立場・肩書
皇族(一般に厩戸皇子とされる)
主なゆかりの地
奈良県斑鳩町/飛鳥地方
代表的な出来事
「聖徳太子」は後世に完成した人物像
関連人物
推古天皇、厩戸皇子、蘇我馬子

01

「聖徳太子」は後世に完成した人物像

厩戸皇子という皇族が実在したこと自体は広く認められている。一方、「10人の話を同時に聞き分けた」「生まれてすぐ話した」といった超人的な逸話は、後世の史書や伝承の中で形づくられたものだ。

したがって「聖徳太子は実在しなかった」と単純に言うより、実在した厩戸皇子の上に、後世の聖人像が重なったと考える方が正確である。

「聖徳太子」は後世に完成した人物像
「日出づる処の天子」の国書は誰が書いたのか

02

「日出づる処の天子」の国書は誰が書いたのか

607年の遣隋使について、中国側の『隋書』には「日出づる処の天子」から始まる国書が記録されている。隋の煬帝がその表現を快く思わなかったことも記されている。

ただし、この国書を厩戸皇子本人が起草したと断定できる同時代史料はない。推古朝の外交政策に厩戸皇子が関わった可能性は高いが、個人の「大胆な手紙」として物語化しすぎない方がよい。

03

伝説を取り除いても残る、飛鳥外交の転換

推古朝には遣隋使が派遣され、中国王朝との関係を再構築しようとする動きが進んだ。冠位十二階や仏教振興なども、この時期の国家形成と結び付けて考えられている。

聖徳太子像の伝説性を指摘することと、厩戸皇子が政治史上重要な人物だったことは両立する。むしろ伝説と史実を分けることで、その時代の政治的変化が見えやすくなる。

伝説を取り除いても残る、飛鳥外交の転換

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