01
「愛」の兜はラブ&ピースではない
直江兼続といえば「愛」の字があしらわれた巨大な兜。現代人は「ラブ&ピース」や「義愛」を想像しますが、戦国時代にそんなロマンチックな意味はありません。
この「愛」は、武神である「愛染明王(あいぜんみょうおう)」または「愛宕権現(あたごごんげん)」の頭文字をとったものだとする説が有力です。つまり「戦いの神のご加護がありますように」「敵をぶっ飛ばせますように」という、極めてバリバリの武闘派アピールだったのです。

なおえかねつぐ
直江兼続
01
直江兼続といえば「愛」の字があしらわれた巨大な兜。現代人は「ラブ&ピース」や「義愛」を想像しますが、戦国時代にそんなロマンチックな意味はありません。
この「愛」は、武神である「愛染明王(あいぜんみょうおう)」または「愛宕権現(あたごごんげん)」の頭文字をとったものだとする説が有力です。つまり「戦いの神のご加護がありますように」「敵をぶっ飛ばせますように」という、極めてバリバリの武闘派アピールだったのです。
02
関ヶ原の戦いの直前、天下を狙う徳川家康から上杉家に対して「謀反の噂があるから、京都まで説明に来い」という詰問の使者がやってきました。これに対する兼続の返答が、歴史に残る名文「直江状(なおえじょう)」です。
「噂なんてどこでも立つものです、家康公ともあろうお方が噂を信じるんですか?」「上洛しろと言うなら、家康公がこちらに非がないと証明してからにするのが筋でしょう」「疑いを晴らす気がないなら、いつでも戦ってやりますよ」。この論理的かつ極めて人を小馬鹿にした煽り文句(レスバトラーぶり)に、温厚を装っていた家康は「吾、若い頃より数多の敵と戦えども、これほどの無礼な手紙を受け取ったことはない!」と激怒し、会津征伐(上杉攻め)を決定しました。
03
関ヶ原の戦いで西軍(石田三成側)が敗れると、上杉家は絶体絶命の危機に陥ります。しかしここからが兼続の真骨頂でした。
彼は家康をあれほど煽り倒しておきながら、敗北が決まると速やかに武装解除し、家康の重臣である本多正信らを通じて必死の外交交渉(謝罪と助命嘆願)に奔走します。結果として上杉家は領地を大幅に減らされたものの、お家取り潰しだけは免れました。喧嘩を売る時は全力で、負けを認める時もプライドを捨てて実を取る。したたかな政治家としての手腕がそこにありました。
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