01
「幸村」は後世のエンタメが作った名前
日本で最も有名な武将の一人ですが、彼が生きていた間に「幸村」と名乗ったことを示す史料は一つもありません。彼の手紙や公文書の署名はすべて「真田信繁(のぶしげ)」です。
「幸村」という名前が定着したのは、彼が死んだ数十年後に書かれた軍記物語(一種の歴史小説)などのエンターテインメント作品の中でのこと。あまりにも物語の中の「幸村」の活躍がカッコよかったため、本名を上書きして世間に広まってしまったのです。

さなだゆきむら
真田幸村
01
日本で最も有名な武将の一人ですが、彼が生きていた間に「幸村」と名乗ったことを示す史料は一つもありません。彼の手紙や公文書の署名はすべて「真田信繁(のぶしげ)」です。
「幸村」という名前が定着したのは、彼が死んだ数十年後に書かれた軍記物語(一種の歴史小説)などのエンターテインメント作品の中でのこと。あまりにも物語の中の「幸村」の活躍がカッコよかったため、本名を上書きして世間に広まってしまったのです。
02
大坂の陣で劇的な活躍を見せる真田信繁ですが、その直前まで彼は和歌山県の九度山という村に14年間も流罪(幽閉)になっていました。
彼が九度山から親戚に宛てた手紙には、「すっかり老け込んでしまい、歯も抜け落ちてしまいました」「ヒゲも黒い部分は少ししか残っていません」「病気ばかりで辛い」という、悲壮感漂う強烈なボヤキが書き連ねられています。ゲームやアニメのような血気盛んな若者ではなく、心身ともに限界を迎えていた初老の男だったのです。
03
そんなボロボロの信繁が、豊臣秀頼の呼びかけに応じて大坂城へ入ります。人生の最後に与えられた「死に場所」としての巨大なステージでした。
彼は真田丸と呼ばれる出城を築いて徳川軍を散々に打ち破り、夏の陣では家康の本陣に死ぬ気で突撃を仕掛け、家康に「もう自害するしかない」とまで覚悟させました。白髪で歯も抜けたおじさんが、戦国の最後に放った命がけの狂い咲き。それこそが、彼が400年経っても愛され続ける本当の理由です。
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