坂上田村麻呂

さかのうえのたむらまろ

坂上田村麻呂

坂上田村麻呂|金髪碧眼の武将? 坂上田村麻呂と「清水寺」の優しいルーツ

基本情報

名前
坂上田村麻呂
読み
さかのうえのたむらまろ
生没年
758年~811年
時代
平安時代初期
立場・肩書
武将・初代征夷大将軍
主なゆかりの地
東北地方・京都・清水寺
代表的な出来事
東北地方の平定、清水寺の創建
関連人物
桓武天皇、阿弖流為、延鎮

01

「赤いヒゲに青い目」という異形の容姿説

平安時代の武将でありながら、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)には奇妙な容姿の伝説が残されています。 のちの室町時代などに書かれた『田村麻呂伝記』といった軍記物語の中では、彼が「赤いヒゲ(あるいは金髪)で、青い目をしていた」と描写されているのです。彼の一族(坂上氏)は渡来人(中国や朝鮮半島からの移民)の血を引いているとされますが、この異国風の容姿については確たるエビデンスはなく、彼の人間離れした強さを表現するための「後世の脚色(推測)」である可能性が高いとされています。

「赤いヒゲに青い目」という異形の容姿説
妻の安産祈願が「清水寺」の始まり

02

妻の安産祈願が「清水寺」の始まり

京都を代表する観光地「清水寺」。このお寺を作ったのは田村麻呂です。 伝説によれば、彼の妻が妊娠して病気がちになった際、田村麻呂は「鹿の血が安産と薬になる」と信じ、京都の東山へ鹿を狩りに行きました。そこで出会った延鎮(えんちん)という僧侶から「殺生をしてはいけない」と諭され、深く反省した田村麻呂は、妻の安産と仏への信仰のために、自宅を解体してその場所に観音堂を建てました。これが清水寺の始まりだと伝えられています。武神の意外な愛妻家エピソードです。

03

敵将・アテルイとの悲しき約束

東北地方(蝦夷)の平定において、田村麻呂は力任せの討伐だけでなく、降伏を勧める対話も重んじました。 蝦夷のリーダーである阿弖流為(アテルイ)が降伏した際、田村麻呂は彼の武勇と人柄を惜しみ、「彼らを東北の統治に協力させよう」と京都の朝廷に助命を熱心に嘆願しました。しかし、貴族たちは「野蛮人は信用できない」とこれを冷酷に却下し、アテルイは処刑されてしまいます。田村麻呂の深い悲しみと武士としての誇りが垣間見える歴史的瞬間です。

敵将・アテルイとの悲しき約束

SAME CATALOG

同じ図鑑のほかの記事