01
就任直後から京都を追い出される
義晴が将軍になったのはわずか11歳の時。しかし当時の京都は、実力者の細川高国と、それに反発する勢力が血みどろの争いを繰り広げていました。将軍とはいえ、軍事力のない義晴はすぐに命の危険に晒されます。彼は身の安全を確保するため、近江国(滋賀県)の坂本や朽木といった場所に避難しました。京都のお坊さんたちからは「また将軍様が逃げたぞ」と呆れられながらも、彼はしぶとく生き残る道を選びました。


あしかがよしはる
足利義晴
室町幕府12代将軍・足利義晴(あしかが よしはる)。彼の時代、京都は細川氏などの有力大名がドンパチを繰り返す世紀末状態でした。「こんな危ない京都に住んでられるか!」と、義晴は生涯のうち何度も京都を脱出し、お隣の近江国(滋賀県)に引きこもって政治を行いました。ある意味で最先端を行く「究極のテレワーク将軍」です。
01
義晴が将軍になったのはわずか11歳の時。しかし当時の京都は、実力者の細川高国と、それに反発する勢力が血みどろの争いを繰り広げていました。将軍とはいえ、軍事力のない義晴はすぐに命の危険に晒されます。彼は身の安全を確保するため、近江国(滋賀県)の坂本や朽木といった場所に避難しました。京都のお坊さんたちからは「また将軍様が逃げたぞ」と呆れられながらも、彼はしぶとく生き残る道を選びました。

02
「逃げた将軍」と聞くと情けないですが、義晴のすごいところは「滋賀県に逃げたまま、将軍としての権力を保ち続けた」ことです。彼は近江の有力者(六角氏など)を味方につけ、京都にいる大名たちに対して「俺が正式な将軍だぞ!」と命令を出し続けました。安全な場所(滋賀)に幕府の機能ごと引っ越しさせ、リモートで大名たちを操って京都の勢力図をコントロールしようとした、意外としたたかな政治家なのです。

03
晩年、三好長慶(みよし ながよし)という新たな強敵が現れると、義晴は「もう逃げてばかりはいられない!」と決意します。京都の東山(中尾山)に、将軍自らが籠城して戦うための本格的な「お城」を建設し始めたのです。逃げの人生からの卒業を目指した義晴でしたが、城が完成する前に病に倒れ、40歳で亡くなってしまいました。彼の「絶対に敵と戦う」という熱い遺志は、息子の義輝へと受け継がれます。

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