森鴎外

もり おうがい

森鴎外

Photo: are-iina created

森鴎外|12歳で医学の道へ進み、20年以上も「鼻糞」を追った変わり者の文豪。

12歳で医学の道へ進み、20年以上も「鼻糞」を追った変わり者の文豪。

小説家と軍医。二つの顔を持つ文豪

森鴎外は、明治時代(1868〜1912年)から大正時代(1912〜1926年)に活躍した小説家です。『舞姫』や『高瀬舟』などを書き、外国文学の翻訳も手がけました。

もう一つの顔は、陸軍の軍医です。医学を学び、軍医として働きながら小説を書きました。

小説家であり、軍医でもあった。

森鴎外は、二つの世界で活躍した人物です。

基本情報

名前
森鴎外(もり おうがい)
読み
もり おうがい
生没年
1862年〜1922年
時代
明治時代〜大正時代
立場・肩書
小説家・翻訳家・陸軍軍医
主なゆかりの地
島根県津和野町/東京都文京区千駄木/ドイツ
代表作
『舞姫』『雁』『山椒大夫』『高瀬舟』
関連人物
夏目漱石・石川啄木・斎藤茂吉

森鴎外は、大学を卒業すると陸軍に入りました。

そして、医学を学ぶためにドイツへ留学します。

ここから、森鴎外の人生はさらに面白くなります。

01

12歳で医学部へ。しかも年齢を偽った

森鴎外は12歳で東京へ出ました。

そして入ったのが、今の東京大学医学部につながる学校です。

ただし、12歳では入学条件に足りません。

そこで鴎外は、14歳だと年齢を偽って入学しました。

12歳の少年が、年齢をごまかして医学の学校へ。

そして1881年、19歳で東京大学医学部を卒業。しかも最年少でした。

かなりの天才です。

そして、かなり無茶をする少年でした。

12歳で医学部へ。しかも年齢を偽った

12歳の鴎外、年齢を偽って医学の道へ。

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02

「ヨーロッパ人は鼻糞をほじるのか?」を20年以上調べた

1884年、鴎外はドイツへ留学しました。

そこで、ある日本人外交官から言われます。

「人前で鼻糞をほじる国民に、衛生も何もあるものか」

鴎外は言い返せませんでした。

でも、忘れませんでした。

ドイツで3年間、いろいろな人を見ても、鼻糞をほじるヨーロッパ人に出会わない。

帰国しても、この疑問は残りました。

そして20年以上たった1909年。

ついに、ヨーロッパ人が鼻糞をほじる記述を文学作品の中に発見します。

鴎外は、それを「大発見」という小説にしました。

そして最後に、あの外交官へ報告します。

「欧羅巴人も鼻糞をほじりますよ」

22年越しの勝利です。

「ヨーロッパ人は鼻糞をほじるのか?」を20年以上調べた

ついに見つけた!「ヨーロッパ人も鼻糞をほじる」という証拠。

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04

鴎外の家に、あとから夏目漱石が住んだ

鴎外が千駄木で借りていた家に、後から夏目漱石も住みました。

同じ家です。

鴎外が住んだのは1890年ごろ。

漱石が住んだのは1903年から1906年。

そして漱石は、この家で『吾輩は猫である』を書きました。

つまり、

森鴎外が住んだ家に、夏目漱石が住み、そこで『吾輩は猫である』が生まれた。

文豪が住んだ家を、別の文豪が引き継いだわけです。

この家は現在、愛知県の博物館明治村に移築されています。

鴎外の家に、あとから夏目漱石が住んだ

鴎外が住んだ家に、後から漱石も住んだ。

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