源義経

みなもとのよしつね

源義経

源義経|牛若丸として知られる悲劇のヒーロー。しかし史実から浮かび上がるのは、容姿のコンプレックスを跳ね除け、当時の戦の常識をすべてぶっ壊した異端の天才だった。

基本情報

名前
源義経
読み
みなもとのよしつね
生没年
1159年〜1189年
時代
平安時代末期〜鎌倉時代初期
立場・肩書
武将、源氏の武将
主なゆかりの地
京都、鎌倉、平泉、壇ノ浦
代表的な出来事
一ノ谷・屋島・壇ノ浦の戦い、頼朝との対立
関連人物
源頼朝、静御前、弁慶

01

美少年どころか「出っ歯で小柄」

「牛若丸=色白の美少年」というイメージは、後世の室町時代に書かれた『義経記』や歌舞伎などによって作られた完全なフィクションです。

同時代の記録や、実際に本人が奉納したとされる鎧(大山祇神社所蔵)のサイズから推測すると、身長は約150cm程度のかなり小柄な体格でした。さらに江戸時代の国学者たちの考証などでは「青白い顔で、出っ歯だった」という身も蓋もない容姿が伝えられています。しかし、その小柄さこそが、彼の超人的な機動力の源でした。

美少年どころか「出っ歯で小柄」
卑怯? 天才? 「戦のルール」を全無視

02

卑怯? 天才? 「戦のルール」を全無視

義経が戦の天才と呼ばれる理由は、「当時の武士の常識(マナー)を一切守らなかったから」です。

当時の戦は、お互いに名乗りを上げてから一騎打ちをするのが基本でした。しかし義経は、一ノ谷の戦いでは馬が通れないような断崖絶壁を駆け下りて奇襲(鵯越の逆落とし)。壇ノ浦の戦いでは、非戦闘員である「船の漕ぎ手」を弓で射殺するというタブーを犯しました。「勝てば官軍」を地で行く、強烈なリアリストかつサイコパス的な戦術が、平家を大パニックに陥れたのです。

03

兄・頼朝がガチギレした「勝手な就職」

天才的な軍略で平家を滅ぼした義経ですが、政治のセンスは絶望的でした。

彼が兄の頼朝に殺された最大の理由は、「頼朝の許可を得ずに、朝廷から勝手に官位(役職)をもらってしまったから」です。頼朝は「鎌倉の許可なく朝廷と直接つながってはならない」という新しいルールで武士を統制しようとしていたのに、ナンバーツーである実の弟が一番最初にそのルールを破ってしまいました。軍事の天才は、組織の空気を全く読めない社会人でもあったのです。

兄・頼朝がガチギレした「勝手な就職」

SAME CATALOG

同じ図鑑のほかの記事