服部半蔵

はっとりはんぞう

服部半蔵

服部半蔵|家康を影から支えた伊賀忍者の頭領。しかし彼自身は忍術など使えず、槍一本で戦場を駆け回り、主君の命令に泣き崩れる人情派の武士だった。

基本情報

名前
服部半蔵
読み
はっとりはんぞう
生没年
1542年〜1596年
時代
戦国時代〜江戸時代初期
立場・肩書
武将、徳川家臣
主なゆかりの地
三河、伊賀、江戸
代表的な出来事
徳川家康への奉仕、伊賀越え
関連人物
徳川家康、服部保長、織田信長

01

半蔵は「忍者」ではなく「武士」である

ゲームや漫画で「黒装束で手裏剣を投げる忍者」として登場する服部半蔵。しかし、彼自身は伊賀の出身(父の代で三河に移住)であっても、徳川家に仕えるれっきとした「武士(旗本)」でした。

彼は戦場で忍術など一切使わず、長さ数メートルもある巨大な槍を振り回して最前線で敵を突く、超ゴリゴリの武闘派でした。そのすさまじい戦いぶりから「鬼の半蔵」と恐れられていたのです。彼が忍者の頭領とされるのは、家康の命令で「伊賀の忍者たちを統率するマネージャー的な役職」に就いていたからです。

半蔵は「忍者」ではなく「武士」である
涙もろすぎて「処刑」を拒否

02

涙もろすぎて「処刑」を拒否

「鬼」と恐れられた半蔵ですが、実はメンタルが非常に繊細で、超がつくほど「涙もろい」人物でした。

家康の長男・信康が織田信長から謀反を疑われ、切腹を命じられた際のことです。家康から信康の介錯(切腹の際に首を切り落とす役)を命じられた半蔵は、刀を構えたものの、涙が止まらなくなり「三代にわたって仕えてきた主君の息子を、斬ることはできません!」と刀を投げ出して泣き崩れてしまいました。結局、別の武士が介錯を代わったと伝えられています。

03

半蔵の名前は「世襲制」

「服部半蔵」という名前は個人の名前ではなく、代々受け継がれる当主の役職名(世襲名)です。

私たちが知っている有名な半蔵は「2代目」の服部正成のこと。ちなみに、彼の息子である「3代目」の服部半蔵(正就)は、父親のようなカリスマ性がなく、部下の伊賀忍者たちを冷遇してパワハラを働いたため、忍者たちから大規模なストライキ(反乱)を起こされてしまい、服部家は一度改易(お家取り潰し)になってしまいました。忍者を束ねるには、2代目のように涙を流すような人情が必要だったのかもしれません。

半蔵の名前は「世襲制」

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