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「焼けた・焼けてない」で大激論。決着は地中から
法隆寺の創建は607年とされていますが、『日本書紀』の天智天皇9年(670年)の記述に「法隆寺に火災があり、一舎も残らず焼失した」という一文が存在します。これが事実なら、現在の法隆寺は飛鳥時代のオリジナルではなく、後から建て直されたもの(再建)になります。明治時代から昭和にかけて、「日本書紀の記述は正しい(再建説)」と、「いや、建築様式を見れば創建当時のままだ(非再建説)」という大論争が勃発しました。決着がついたのは昭和14年(1939年)のことです。現在の伽藍の南東にある「若草伽藍跡」の発掘調査によって、古い時代の寺院の礎石や、火災で焼けた壁土が大量に発見されたのです。これにより「法隆寺は一度焼失し、7世紀後半〜8世紀初頭に再建された」ことが確実となりました。それでも「世界最古の木造建築」であることには変わりありませんが、聖徳太子が実際に歩いた建物は、土の下に眠っていたのです。

「焼けた・焼けてない」で大激論。決着は地中から
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