法隆寺

ほうりゅうじ(いかるがでら)

法隆寺

法隆寺|聖徳太子の寺は一度全焼していた? 世界最古の木造建築の「アンバランスな謎」

「世界最古の木造建築」として世界遺産に輝く法隆寺。しかし、聖徳太子が建てた当時の建物は、実は一度「全焼」していたことを知っていますか? 長年繰り広げられた歴史学者たちの熱い論争と、あえて「アンバランス」に設計された境内の謎。1300年間倒れなかったヒノキの真実に迫ります。

基本情報

名称
法隆寺(斑鳩寺)
読み
ほうりゅうじ(いかるがでら)
所在地
奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
創建
推古天皇15年(607年)
宗派
聖徳宗(総本山)
本尊
釈迦如来
主な見どころ
西院伽藍(五重塔・金堂)、大宝蔵院、夢殿、百済観音像
ゆかりの人物
聖徳太子、推古天皇

法隆寺を、聖徳太子の寺は一度全焼していた? 世界最古の木造建築の「アンバランスな謎」という切り口から読み直します。

01

「焼けた・焼けてない」で大激論。決着は地中から

法隆寺の創建は607年とされていますが、『日本書紀』の天智天皇9年(670年)の記述に「法隆寺に火災があり、一舎も残らず焼失した」という一文が存在します。これが事実なら、現在の法隆寺は飛鳥時代のオリジナルではなく、後から建て直されたもの(再建)になります。明治時代から昭和にかけて、「日本書紀の記述は正しい(再建説)」と、「いや、建築様式を見れば創建当時のままだ(非再建説)」という大論争が勃発しました。決着がついたのは昭和14年(1939年)のことです。現在の伽藍の南東にある「若草伽藍跡」の発掘調査によって、古い時代の寺院の礎石や、火災で焼けた壁土が大量に発見されたのです。これにより「法隆寺は一度焼失し、7世紀後半〜8世紀初頭に再建された」ことが確実となりました。それでも「世界最古の木造建築」であることには変わりありませんが、聖徳太子が実際に歩いた建物は、土の下に眠っていたのです。

「焼けた・焼けてない」で大激論。決着は地中から

「焼けた・焼けてない」で大激論。決着は地中から

Photo: LEGACY_REFERENCE: /var/lib/are-iina/unpublished/temples/horyuji

02

なぜ「左右非対称」なのか? 天才的な視覚マジック

法隆寺のメインエリアである西院伽藍に入ると、左に「五重塔」、右に「金堂」が並んでいます。実はこれ、当時の中国や朝鮮半島から伝わった寺院の基本ルールから完全に逸脱しています。古い時代の寺院(例えば四天王寺)は、門・塔・金堂・講堂が「一直線」に並ぶ左右対称のシンメトリーが基本でした。しかし再建された法隆寺は、あえて塔と金堂を左右に並べるという非対称(アシンメトリー)な配置を採用しました。高さ約31.5メートルの縦に細長い五重塔と、どっしりと横に広い金堂。形も高さも全く違う二つの建物を左右に並べることで、正面から見たときに絶妙な視覚的バランス(調和)が生まれるよう計算されているのです。この「非対称の美」は、その後の日本建築に大きな影響を与えました。

なぜ「左右非対称」なのか? 天才的な視覚マジック

なぜ「左右非対称」なのか? 天才的な視覚マジック

Photo: LEGACY_REFERENCE: /var/lib/are-iina/unpublished/temples/horyuji

03

1300年倒れないヒノキと宮大工の執念

それにしても、なぜ木でできた建物が1300年以上も地震や台風に耐えられたのでしょうか。最大の理由は「ヒノキ(檜)」という木材の異常な耐久性にあります。ヒノキは伐採されてから約200年間は強度が増し続け、その後1000年かけてゆっくりと元(伐採時の強度)に戻っていくという特性を持っています。法隆寺の柱には、樹齢1000年以上の最高品質のヒノキが惜しげもなく使われていました。さらに、昭和の大修理を率いた伝説の宮大工・西岡常一(にしおかつねかず)が残した「木を買わず山を買え」「木の癖を組め」という言葉の通り、古代の職人たちは木が育った環境やねじれの癖を一つ一つ見極め、適材適所に組み合わせる技術を持っていました。法隆寺は、自然の摂理を知り尽くした古代の職人たちの、執念の結晶なのです。

1300年倒れないヒノキと宮大工の執念

1300年倒れないヒノキと宮大工の執念

Photo: LEGACY_REFERENCE: /var/lib/are-iina/unpublished/temples/horyuji

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