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家康はなぜ「豊臣の寺」に巨額の支援をしたのか
高台寺は秀吉の菩提を弔うために創建されましたが、その造営には徳川家康からの莫大な資金援助がありました。家康は、普請奉行として酒井忠世を派遣するなど、幕府の公式事業に近い形で高台寺の建設を後押ししています。 この異例とも言える支援の背景には、豊臣家内部の分断を図る家康の政治的思惑がありました。当時、大坂城には淀殿と豊臣秀頼がおり、依然として強い影響力を持っていました。家康は、秀吉の正室として豊臣恩顧の武将たち(加藤清正や福島正則ら)から絶大な人望を集めていたねね(高台院)を優遇することで、大坂城の淀殿派とねねを中心とする尾張派の間に楔を打ち込もうとしたのです。 高台寺の壮麗な伽藍は、家康からねねへの敬意の表れであると同時に、豊臣家を骨抜きにするための高度な政治的投資の産物でもありました。

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