増上寺

ぞうじょうじ

増上寺

Photo: Kakidai / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

増上寺|徳川家康の命を救い続けた「真っ黒な仏様」。東京タワーの足元に眠る将軍家の勝負運

弾丸をも避ける?家康が熱狂した「黒本尊」。増上寺の安国殿には、「黒本尊(くろほんぞん)」と呼ばれる特別な阿弥陀如来像が安置されています。

基本情報

名称
三縁山 広度院 増上寺
読み
さんえんざん こうどいん ぞうじょうじ
所在地
東京都港区芝公園4丁目7-35
創建
明徳4年(1393年)
宗派
浄土宗(大本山)
本尊
阿弥陀如来
主な見どころ
三解脱門(国宝)、徳川将軍家霊廟、黒本尊
ゆかりの人物
徳川家康、和宮(皇女和宮)、徳川秀忠
弾丸をも避ける? 家康が熱狂した「黒本尊」Photo: 江戸村のとくぞう / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

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弾丸をも避ける? 家康が熱狂した「黒本尊」

増上寺の安国殿には、「黒本尊(くろほんぞん)」と呼ばれる特別な阿弥陀如来像が安置されています。 文字通り、全身が煤(すす)で真っ黒になった仏像です。これは、徳川家康が「自分の守り本尊」として生涯にわたり深く信仰した仏像です。 家康はこの仏像を念持仏として、関ヶ原の戦いや大坂の陣など、生死を分ける過酷な戦場にまでわざわざ持ち込み、陣中で祈りを捧げました。 伝承によれば、敵の弾丸が家康を狙ったとき、この仏像が身代わりになって命を救ったとも言われています。度重なる戦の陣中で線香の煙を浴び続けたため、仏像は真っ黒になりました。 家康に天下取りの勝負運をもたらした最強のパワースポットとして、現在でも「勝運の仏様」として絶大な人気を集めています。

なぜ初代(徳川家康)と三代(徳川家光)のお墓がないのかPhoto: 江戸村のとくぞう / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

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なぜ初代(徳川家康)と三代(徳川家光)のお墓がないのか

増上寺の裏手には「徳川将軍家霊廟」があり、2代秀忠、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂の、合計6人の将軍とその正室たちが眠っています(皇女和宮もここに眠っています)。 しかし、ここで疑問が湧きます。増上寺を菩提寺に定めた張本人である初代・家康のお墓がありません。 また、徳川幕府の基礎を固めた3代・家光のお墓もありません。 実は、家康は自分が死んだ後「神(東照大権現)」として関東全体を守るため、日光(東照宮)に祀られることを遺言で指定しました。 そして、祖父である家康を異常なまでに敬愛していた孫の3代家光も、「死んだ後も家康公のそばでお仕えしたい」と願い、増上寺ではなく日光(輪王寺大猷院)に自分のお墓を造らせたのです。増上寺のお墓のラインナップを見るだけで、徳川家の強烈な「家康リスペクト」の精神構造が読み取れます。

空襲を生き延びた巨大な「三解脱門」Photo: KENPEI / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0

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空襲を生き延びた巨大な「三解脱門」

増上寺の入り口にそびえ立つ、鮮やかな朱塗りの巨大な門。「三解脱門(さんげだつもん)」、通称「三門」です。 江戸時代初期の元和8年(1622年)に建立されたこの門は、東京都内に残る最大級の木造建築であり、国の重要文化財に指定されています。 「むさぼり」「怒り」「愚かさ」という人間の3つの煩悩を解脱(クリア)して浄土へ入る、という意味が込められています。昭和20年(1945年)、東京大空襲によって増上寺の国宝級の建物の大半(本堂や五重塔など)が火の海に包まれ、灰燼に帰しました。 しかし、この巨大な三門だけは、周囲が焼け野原になる中で奇跡的に延焼を免れ、江戸時代の姿のまま現在まで立ち続けています。 真っ赤な東京タワーと並び立つ朱塗りの三門は、何度焼けても蘇る東京の不屈の歴史の象徴なのです。

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