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焼き討ちからの異例の復興支援と光秀の信仰
織田信長による比叡山焼き討ちによって、西教寺も完全に灰燼に帰しました。この作戦において実行部隊の中心にいたのが明智光秀です。焼き討ちの戦功によって近江国志賀郡(坂本)を与えられ、坂本城を築城した光秀は、自身の領地となった西教寺の惨状を目の当たりにしました。 光秀は、かつて自分が焼き討ちに関与した寺院であるにもかかわらず、西教寺の再興に多大な援助を行いました。寺領の寄進や建築資材の提供、職人の手配などを行い、本堂などの主要な堂宇を短期間で再建させたのです。 光秀がなぜこれほどまでに西教寺を庇護したのか。それは、荒廃した領内の民心を手なずけるための政治的な領国経営の一環であったと同時に、絶え間なく行われる殺戮に対する強い宗教的な懺悔と、真盛上人の教えに対する純粋な帰依があったと考えられています。

Photo: Yanajin33 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0