知恩院

かちょうざん ちおんきょういん そんれんしゃ(ちおんいん)

知恩院

知恩院|徳川家康が京都に築いた「要塞」。知恩院に隠された軍事基地の顔と、七不思議「忘れ傘」の謎

京都の東山にそびえる浄土宗の総本山・知恩院。巨大な三門や急すぎる石段に圧倒されますが、実はお寺の皮を被った「徳川軍の巨大な要塞」だったということをご存知ですか? 暗殺者を防ぐ「鴬張りの廊下」や、左甚五郎が置き忘れたとされる「忘れ傘」など、軍事基地と七不思議が交差する最強の寺院の秘密を解き明かします。

基本情報

名称
華頂山 知恩教院 尊蓮社(通称:知恩院)
読み
かちょうざん ちおんきょういん そんれんしゃ(ちおんいん)
所在地
京都府京都市東山区林下町400
創建
承安5年(1175年) 法然による
宗派
浄土宗(総本山)
本尊
法然上人像(御影堂)、阿弥陀如来(阿弥陀堂)
主な見どころ
三門(国宝)、御影堂(国宝)、鴬張りの廊下、大鐘楼
ゆかりの人物
法然、徳川家康、徳川秀忠、徳川家光

知恩院を、徳川家康が京都に築いた「要塞」。知恩院に隠された軍事基地の顔と、七不思議「忘れ傘」の謎という切り口から読み直します。

01

巨大な三門と石段は「軍事要塞」の証拠

知恩院の入り口にそびえ立つ「三門(さんもん)」は、木造の門としては日本最大級の国宝です。そして三門をくぐると、信じられないほど急で高く、一段の幅が広い「男坂」という石段が待ち構えています。なぜこれほど巨大で登りにくいのでしょうか。徳川家康は浄土宗の熱心な信者でしたが、同時に知恩院を「いざという時の軍事拠点(お城の代わり)」として再設計しました。当時、家康の拠点は二条城でしたが、万が一京都で反乱が起きた際、数万の軍勢を駐屯させ、御所(天皇)を見下ろして防衛できる高台の拠点が必要でした。巨大な三門は「監視塔」であり、急すぎる石段は「敵の騎馬が駆け上がれないようにする防衛線」なのです。知恩院の異常なスケールは、宗教的威厳と徳川幕府の軍事戦略が完全に一致した結果でした。

巨大な三門と石段は「軍事要塞」の証拠

巨大な三門と石段は「軍事要塞」の証拠

Photo: LEGACY_REFERENCE: /var/lib/are-iina/unpublished/temples/chion-in

02

暗殺者を防ぐ? 「鴬張りの廊下」の本当の理由

知恩院の御影堂から大方丈へと続く廊下は、歩くと「キュッ、キュッ」と小鳥が鳴くような音がする「鴬張り(うぐいすばり)の廊下」として有名です(知恩院の七不思議の一つ)。一般的には「忍び込む暗殺者の足音に気づくための防犯システムだ」と説明されますが、建築学的な真実は少し異なります。実は、木材を固定する金具(目かすがい)が、長い年月の間に木が乾燥して縮むことで摩擦を起こし、人が乗った重みで擦れ合って音が出ているのです。つまり最初から防犯目的で音を出そうとしたわけではなく、乾燥による偶然の産物です。しかし、軍事要塞としての側面が強かった知恩院において、「誰かが歩けば必ず音が鳴る」という現象は、結果的に最高のセキュリティシステムとして機能しました。

暗殺者を防ぐ? 「鴬張りの廊下」の本当の理由

暗殺者を防ぐ? 「鴬張りの廊下」の本当の理由

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03

逃げた名工か、火災除けのお守りか。謎の「忘れ傘」

もう一つの有名な七不思議が、御影堂の正面、軒下の骨組みの隙間にポツンと置かれている「忘れ傘」です。肉眼でも確認できる、骨だけになった和傘です。誰がこんなところに傘を置いたのでしょうか。伝説では、この建物を造った伝説の大工・左甚五郎(ひだりじんごろう)が、魔除けのためにわざと傘を置いていったとされています。建物が完成してしまうと後は朽ちるだけなので、傘を忘れることで「まだ未完成である(だから壊れない)」というまじないをかけたという説です(日光東照宮の逆柱と同じ発想です)。また、傘は「水」を連想させるため、木造建築を火災から守る火除けの呪い(まじない)であるとも言われています。圧倒的な権力と軍事力を見せつける要塞寺院の中に、職人のちょっとしたユーモアと呪術が仕掛けられているのが、知恩院の奥深い魅力です。

逃げた名工か、火災除けのお守りか。謎の「忘れ傘」

逃げた名工か、火災除けのお守りか。謎の「忘れ傘」

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