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京都のコピー空間? 江戸城の「鬼門」を封じる結界
江戸幕府を開いた徳川家康の側近であった天台宗の僧・天海(てんかい)は、江戸の町を霊的に守護するため、緻密な都市計画を行いました。その最大の仕掛けが、江戸城の北東、つまり怨霊や邪気が入り込むとされる不吉な方角「鬼門(きもん)」に、巨大な寺院を配置することでした。 平安京の鬼門を「比叡山延暦寺」が守ったことに倣い、天海は上野の山を「東の比叡山(東叡山)」と名付け、時の元号をとって「寛永寺」を創建しました。 さらに天海は、境内の隣にある不忍池(しのばずのいけ)を琵琶湖に見立てて竹生島(現在の弁天堂)を築き、京都の清水寺の舞台を模した「清水観音堂」を建立するなど、上野の山全体を「京都の神聖なコピー空間」として設計しました。江戸を新しい日本の中心とするため、意図的に強固な宗教的結界を張り巡らせたのです。

Photo: Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
Photo: くろふね / Wikimedia Commons / CC BY 3.0











































