01
大仏の頭が落ちた。しかも一度では終わらなかった
東大寺の大仏は、天平勝宝4年(752)に開眼供養が行われました。しかし、巨大な大仏の1200年以上にわたる歴史は、決して平穏ではありません。斉衡2年(855)、大地震によって大仏の頭部が落下しました。その後修復されますが、さらに大きな災難が待っていました。治承4年(1180)、平重衡の軍勢による兵火で、大仏殿を含む東大寺の伽藍の大半が焼失します。復興の中心になったのが重源です。重源は養和元年(1181)に勧進職となり、後白河法皇や源頼朝らの援助も受けながら復興を進めました。大仏では頭部や左手などが補鋳され、文治元年(1185)には再び開眼供養が行われています。ところが、これで終わりではありません。永禄10年(1567)、三好・松永の争いによる兵火で東大寺は再び大きな被害を受け、大仏殿も焼失しました。大仏も損傷し、奈良国立博物館の資料によれば頭部は溶け落ちています。その後、大仏には補修が施され仮屋も造られましたが、その仮屋も大風で倒壊。大仏は100年近く風雨にさらされることになります。現在の大仏は、こうした災害と修復を何度も経験した姿です。だから、「奈良時代の大仏がそのまま残っている」と考えるのは正確ではありません。一方で、すべてが後世につくり直されたわけでもありません。東大寺によれば、現在の大仏にも主に腹部から脚、さらに台座にかけて奈良時代の部分が伝わっています。つまり目の前にある大仏には、奈良時代の当初部分と、その後の長い歴史の中で修復された部分が共存しているのです。「1200年前の大仏を見る」というより、1200年以上にわたって修復され続けてきた大仏を見る。そう考えると、同じ大仏が少し違って見えてきます。

大仏の頭が落ちた。しかも一度では終わらなかった
Photo: LEGACY_REFERENCE: /var/lib/are-iina/unpublished/temples/todaiji


