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「金剛峯寺」という名前の建物はもともと無かった
多くの観光客が、立派な主殿の前に立って「これが金剛峯寺か」と写真を撮ります。しかし厳密に言えば、高野山の歴史において「金剛峯寺」という特定の建物は存在しませんでした。空海が開創した際、「高野山という山全体が、ひとつの巨大な金剛峯寺(お寺)である」と定義したからです。つまり、山内にある117の寺院はすべて「金剛峯寺の境内にある塔頭(子院)」に過ぎません。現在私たちが「金剛峯寺」と呼んで拝観しているあの大きな建物は、豊臣秀吉が亡き母のために建てた「青巌寺(せいがんじ)」と、隣にあった「興山寺(こうざんじ)」という二つのお寺を、明治時代になってから無理やり合体させて、行政上の便宜から「ここを総本山の金剛峯寺ということにしよう」と改称したものなのです。

「金剛峯寺」という名前の建物はもともと無かった
Photo: LEGACY_REFERENCE: /var/lib/are-iina/unpublished/temples/koyasan-kongobuji


