Photo: Hyppolyte de Saint-Rambert / Wikimedia Commons / CC BY 4.001
熊本城と高さを合わせた清正の廟所「浄池廟」
慶長16年(1611年)、加藤清正は50歳で病死しました。その遺骸は、彼の遺言によって本妙寺の裏手にある中尾山の山頂付近に設けられた「浄池廟(じょうちびょう)」に手厚く葬られました。 この浄池廟が造営された標高は、清正自身が築き上げた難攻不落の名城・熊本城の天守閣とほぼ同じ高さに設計されています。これは「死してなお、自分の城と城下町を見守り続ける」という清正の強い意志によるものと伝えられています。 また、浄池廟の正面は、熊本城の方向を向いていると同時に、はるか遠くの大坂城(豊臣秀頼のいる方角)をも向いているとされています。徳川の時代が本格化する中で世を去った清正の、豊臣家に対する最期の忠義が、この墓所の地政学的な配置に色濃く反映されているのです。

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