Photo: 杉山宣嗣 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.001
孫・秀信が築いた織田信長と信忠の廟所
天正10年(1582年)、本能寺の変において織田信長が、そして二条新御所で嫡男の信忠が自刃しました。遺体が発見されなかったため、信長の側室(お鍋の方)らは、信長と信忠の遺品を岐阜城からこの崇福寺へと密かに持ち込み、供養を行ったと伝えられています。 その後、清洲会議を経て信長の後継者となり、後に岐阜城主となった孫の織田秀信(三法師)は、祖父と父の菩提を弔うため、境内の裏手に立派な「織田信長・信忠父子廟所」を建立しました。 現在も本堂の裏手にひっそりと佇む廟所には、二つの宝篋印塔(ほうきょういんとう)が並んで建っています。京都の大徳寺総見院が「秀吉による政治的な追悼の場」であったのに対し、ここ岐阜の崇福寺は、残された織田家一族による「純粋な祈りと鎮魂の場」としての性質を強く持っています。

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