崇福寺(福岡市)

そうふくじ

崇福寺(福岡市)

Photo: そらみみ (Soramimi) / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

崇福寺|福岡城から移築された本丸表門と、「黒田騒動」の凄惨な記憶を刻む黒田家の菩提寺

福岡県福岡市博多区にある崇福寺(そうふくじ)は、臨済宗大徳寺派の寺院です。鎌倉時代に大宰府で創建された歴史ある寺院ですが、戦国時代末期にこの地を治めた黒田官兵衛(如水)と初代福岡藩主・黒田長政によって手厚い保護を受け、福岡藩黒田家の公式な菩提寺となりました。 境内には、黒田官兵衛や長政をはじめとする歴代藩主や正室の巨大な墓所が整然と並び、九州最大級の戦国大名一族の栄華を今に伝えています。 また、福岡城から移築された重厚な「本丸表門」や、江戸時代初期に藩の存亡を揺るがした御家騒動「黒田騒動(栗山大膳の乱)」に関連する生々しい歴史的痕跡が残されており、黒田家の輝かしい表の歴史と、血塗られた裏の歴史の両方を記録する極めて重要な歴史空間です。

基本情報

ゆかりの人物
黒田官兵衛(如水)、黒田長政、栗山大膳、倉八十太夫
主な見どころ
福岡城本丸表門(県指定有形文化財)、黒田家歴代藩主の墓所、唐門、千利休の茶室の部材(伝承)
創建
1240年(仁治元年)※大宰府にて創建、1600年に現在地へ移転
名称
崇福寺(そうふくじ)
宗派
臨済宗大徳寺派
所在地
福岡県福岡市博多区千代4丁目7-79
本尊
釈迦如来
読み
そうふくじ
官兵衛と長政が眠る巨大な黒田家墓所Photo: そらみみ / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0

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官兵衛と長政が眠る巨大な黒田家墓所

慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いの戦功によって筑前国(福岡県)五十二万石を与えられた黒田長政は、父・官兵衛とともに福岡城の築城と城下町の整備に着手しました。その際、大宰府にあった崇福寺を博多の現在地に移転させ、黒田家の菩提寺として大規模な伽藍を整備しました。 境内奥の広大な敷地には、初代藩主・黒田長政や、稀代の天才軍師として知られる黒田官兵衛(如水)を含む、歴代福岡藩主とその一族の巨大な墓石(五輪塔や笠塔婆)が林立しています。(※官兵衛の正式な墓所は京都の大徳寺龍光院にもありますが、福岡における一族の墓所としてここに並んで祀られています)。 高さ数メートルにも及ぶ巨大な石塔群は、外様大名でありながら九州において絶大な軍事力と権力を誇った黒田家の威風を、視覚的に強烈に示しています。

奇跡的に残る福岡城の「本丸表門」Photo: そらみみ (Soramimi) / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

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奇跡的に残る福岡城の「本丸表門」

崇福寺の山門として現在使用されている重厚な門は、大正時代に福岡城から移築された旧「本丸表門」です。本丸の正面入り口を守っていたこの門は、黒田長政が福岡城を築城した江戸時代初期の建築様式をそのまま残しています。 明治時代の廃城令や、その後の都市開発、さらには第二次世界大戦の福岡大空襲によって、福岡城の建造物の大半と、崇福寺の本来の伽藍の多くは焼失してしまいました。しかし、この本丸表門は奇跡的に戦火を免れました。 切妻造りの本瓦葺きで、太い柱と強固な扉を持つこの門は、実戦的な防衛施設としての城郭建築の迫力を持っており、福岡県指定の有形文化財として、失われた福岡城の威容を今に伝える貴重な歴史的遺産となっています。

藩の存亡を揺るがした「黒田騒動」の凄惨な痕跡

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藩の存亡を揺るがした「黒田騒動」の凄惨な痕跡

崇福寺には、江戸時代初期に勃発した三大御家騒動の一つ「黒田騒動(黒田騒動)」の凄惨な記憶が残されています。 第二代藩主・黒田忠之の時代、専横を極めた側近の倉八十太夫(くらはちじゅうだゆう)と、それを危惧した筆頭家老の栗山大膳が対立し、幕府を巻き込む大事件に発展しました。幕府の裁定により藩の改易(取り潰し)は免れましたが、対立の結果、倉八十太夫の派閥に属していた一部の家臣たちが処罰されました。 境内の片隅には、この騒動に関連して上意討ち(暗殺)されたり、切腹を命じられたりした家臣たちの墓がひっそりと残されています。五十万石を超える巨大藩の裏側で繰り広げられた権力闘争と、主君のために命を散らした家臣たちの無念の記憶が、華麗な藩主の墓所の陰に歴史の暗部として刻み込まれているのです。

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