常在寺

じょうざいじ

常在寺

Photo: 先従隗始 / Wikimedia Commons / CC0

常在寺|斎藤道三が「美濃の国盗り」の拠点とした菩提寺と、親子相克の記憶を伝える国宝級の肖像画

岐阜県岐阜市にある常在寺(じょうざいじ)は、日蓮宗の由緒ある寺院であり、戦国時代の下克上の代名詞とされる斎藤道三(利政)、そして息子の義龍(よしたつ)、孫の龍興(たつおき)へと続く斎藤氏三代の菩提寺です。 室町時代後期、道三の父である長井新左衛門尉(ながいしんざえもんのじょう)が美濃国(岐阜県)での足場を固めるためにこの寺を創建(あるいは再興)し、以降、斎藤家が美濃を完全に掌握するための重要な宗教的・政治的拠点として機能しました。 一介の商人(あるいは僧侶)から国主へと成り上がった斎藤家の野望の始まりと、道三と義龍による凄惨な親子の骨肉の争い、そして織田信長によって滅ぼされるまでの斎藤氏三代の生々しい栄枯盛衰の記憶が、境内に残る極めて精巧な肖像画とともに現在に伝えられています。

基本情報

ゆかりの人物
斎藤道三、斎藤義龍、斎藤龍興、長井新左衛門尉
主な見どころ
絹本著色斎藤道三像(国指定重要文化財)、絹本著色斎藤義龍像(国指定重要文化財)、斎藤氏三代の供養塔
創建
1450年頃(宝徳年間)※斎藤氏による再興は16世紀前半
名称
常在寺(じょうざいじ)
宗派
日蓮宗
所在地
岐阜県岐阜市梶川町9
本尊
十界曼荼羅
読み
じょうざいじ
父の代から始まった「美濃国盗り」の宗教的拠点

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父の代から始まった「美濃国盗り」の宗教的拠点

歴史小説などで「一介の油売りから大名に成り上がった」と描かれることが多い斎藤道三ですが、近年の歴史研究により、美濃国の国盗りは道三の父である長井新左衛門尉と、道三の親子二代にわたる事業であったことが明らかになっています。 道三の父・新左衛門尉は、元々は京都の妙覚寺の僧侶でしたが、還俗して美濃へと下り、守護大名の土岐氏に仕えて頭角を現しました。その際、妙覚寺の系列であるこの常在寺を拠点とし、日蓮宗の強力なネットワークを利用して美濃国内における情報収集と勢力拡大を図ったのです。 常在寺は、斎藤家にとって単なる祈りの場ではなく、彼らが美濃の最高権力者へと駆け上がるための政治的・軍事的な最前線基地として、一族の野望を陰から支え続けた極めて重要な寺院でした。

国指定重要文化財の「斎藤道三像」と「斎藤義龍像」

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国指定重要文化財の「斎藤道三像」と「斎藤義龍像」

常在寺の宝物として全国的に有名なのが、国指定重要文化財である「絹本著色斎藤道三像」と「絹本著色斎藤義龍像」です。現在、教科書や歴史番組で目にする道三と義龍の肖像画は、すべてこの常在寺が所蔵する絵が元になっています。 道三の肖像画は、頭を丸めた法体(出家姿)で、手には数珠と軍配を持ち、鋭い眼光でこちらを睨みつけるような強烈な威圧感を放っています。一方の義龍の肖像画は、豪華な装束を身に纏い、父とは異なる若き国主としての威厳を備えています。 これらの肖像画は、単なる美術品としての価値にとどまらず、乱世を実力のみで生き抜いた戦国武将の生々しい息遣いと、身体的特徴を極めて写実的に捉えた、戦国史における第一級の視覚的史料です。

凄惨な親子対決と、寺に託された斎藤氏の鎮魂

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凄惨な親子対決と、寺に託された斎藤氏の鎮魂

常在寺は、斎藤道三と義龍による凄惨な「長良川の戦い」という親子の殺し合いの歴史的背景をも抱えています。弘治2年(1556年)、道三は長男の義龍と家督を巡って対立し、長良川の河畔で激突しました。結果として道三は敗死し、義龍が美濃の実権を完全に掌握します。 しかし、その義龍も若くして病死し、孫の龍興の代で織田信長によって美濃を追われ、大名としての斎藤氏は滅亡しました。常在寺の境内には、激しい権力闘争の末に歴史から姿を消した道三・義龍・龍興の斎藤氏三代を弔う供養塔が静かに佇んでいます。 肉親同士で殺し合い、美濃の覇権を奪い合った凄惨な過去を持つ斎藤家ですが、彼らの魂は現在もこの菩提寺において、日蓮宗の題目とともに分け隔てなく並んで供養され続けています。

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