川崎大師平間寺

かわさきだいし へいけんじ

川崎大師平間寺

川崎大師平間寺|リストラ武士の網にかかった木像。川崎大師が「厄除けの最強ブランド」になるまで

初詣の参拝客数で全国トップクラスを誇る「川崎大師」。実はこのお寺、一人の「リストラされた武士」が海に投げ網を打ったところから始まりました。さらに、名物である「久寿餅(くずもち)」が単なるおやつではなく、江戸時代の見事なマーケティング戦略の賜物だったという事実。厄除けの聖地の、意外すぎるルーツに迫ります。

基本情報

名称
川崎大師 平間寺
読み
かわさきだいし へいけんじ
所在地
神奈川県川崎市川崎区大師町4-48
創建
大治3年(1128年)
宗派
真言宗智山派(大本山)
本尊
厄除弘法大師
主な見どころ
大本堂、八角五重塔、薬師殿、仲見世通り
ゆかりの人物
平間兼乗、尊賢上人、徳川家斉

川崎大師平間寺を、リストラ武士の網にかかった木像。川崎大師が「厄除けの最強ブランド」になるまでという切り口から読み直します。

01

海から引き上げられた「弘法大師像」

平安時代後期、尾張国(現在の愛知県)に平間兼乗(ひらまかねのり)という武士がいました。彼は無実の罪を着せられて主君から追放(リストラ)され、諸国を放浪した末に川崎の地へ流れ着き、漁師として細々と命をつないでいました。兼乗は深く仏法に帰依しており、ある夜、夢枕に高僧が現れ「海に網を打て」とお告げを受けます。翌朝、海に網を投げ入れると、なんと弘法大師(空海)の木像が引き上げられました。感激した兼乗は小さな草庵を結んでこの像を供養しました。その後、諸国を巡っていた高野山の尊賢(そんけん)上人がこの話に感銘を受け、兼乗と協力して寺を建立したのが「平間寺」の始まりです。大寺院のルーツが、名もなきどん底の元武士による「網での引き上げ」だったというエピソードは、人生の厄を払うお寺の縁起として非常にドラマチックです。

海から引き上げられた「弘法大師像」

海から引き上げられた「弘法大師像」

Photo: LEGACY_REFERENCE: /var/lib/are-iina/unpublished/temples/kawasaki-daishi

02

11代将軍・家斉を動かした江戸のバズマーケティング

創建後、長らくは地域の一寺院に過ぎなかった川崎大師ですが、江戸時代後期に突如として「全国区のスーパースター」へと変貌を遂げます。きっかけは、江戸幕府の11代将軍・徳川家斉が、自身の前厄の年(1813年)に川崎大師へ公式に厄除け参拝(御成)をしたことでした。当時の家斉の公式参拝は、現代で言えば「トップインフルエンサーの来訪」です。これが江戸の町民たちの間で大々的にバズり、「将軍様が厄除けに行くお寺なら間違いない」と、江戸から川崎への参拝ツアーが大流行しました。寺側もこの機を逃さず、江戸市中で弘法大師像の「出開帳(出張展示)」を積極的に行い、厄除けブランドを強固なものにしていきました。

11代将軍・家斉を動かした江戸のバズマーケティング

11代将軍・家斉を動かした江戸のバズマーケティング

Photo: LEGACY_REFERENCE: /var/lib/are-iina/unpublished/temples/kawasaki-daishi

03

関東の「くず餅」は葛で作られていない?

川崎大師の参道といえば、名物の「久寿餅(くずもち)」です。しかし、関西の人がこれを食べると「葛(くず)の味がしない」と驚きます。それもそのはず、川崎大師のくず餅の原料は、植物の葛ではなく「小麦粉のデンプン」を乳酸発酵させたものだからです。江戸時代、長雨で小麦粉が水浸しになり、樽の中で発酵してしまったものを、捨てるのがもったいないと蒸してみたところ、独特のモチモチ食感になったのが始まりとされています。寺側はこれを「久(ひさしく)寿(いのちながく)」という縁起の良い字を当てて「久寿餅」と命名し、参拝客向けのファストフードとして販売しました。厄除けという目に見えないご利益と、腹持ちが良く縁起の良いお土産。川崎大師は、この完璧なパッケージングによって不動の地位を築き上げたのです。

関東の「くず餅」は葛で作られていない?

関東の「くず餅」は葛で作られていない?

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