天龍寺

てんりゅうじ

天龍寺

天龍寺|最大の敵の「呪い」を恐れて建てた寺。天龍寺の創建資金は「中国との貿易船」だった

京都・嵐山を代表する天龍寺。実はこのお寺、室町幕府を開いた足利尊氏が、死闘を繰り広げた「最大の敵」である後醍醐天皇の怨念を恐れて建てたものなのです。建設資金を調達するために「中国との貿易船」まで就航させた、天才僧侶・夢窓疎石の驚異のビジネス手腕と、8度の火災を生き延びた庭園の謎に迫ります。

基本情報

名称
天龍寺
読み
てんりゅうじ
所在地
京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町68
創建
暦応2年(1339年)
宗派
臨済宗天龍寺派(大本山)
本尊
釈迦如来
主な見どころ
曹源池庭園、法堂(雲龍図)、庫裏
ゆかりの人物
足利尊氏、後醍醐天皇、夢窓疎石

天龍寺を、最大の敵の「呪い」を恐れて建てた寺。天龍寺の創建資金は「中国との貿易船」だったという切り口から読み直します。

01

敵将・後醍醐天皇の「怨霊」を鎮めるため

天龍寺を建てたのは、室町幕府の初代将軍・足利尊氏です。しかし、祀られている(弔われている)のは、尊氏と長年血みどろの戦いを繰り広げた最大の政敵・後醍醐天皇です。建武の新政を巡って対立し、後醍醐天皇を吉野(奈良県)に追いやって幕府を開いた尊氏ですが、後醍醐天皇が吉野で崩御したと聞くと、激しい恐怖に襲われました。「このままでは、帝の怨霊に呪い殺されるかもしれない」。当時の人々にとって怨霊の祟りは、現代の病気や災害以上にリアルで恐ろしいものでした。そこで、天皇が幼少期を過ごした嵐山の離宮跡を寺に改め、最高級の祈りの空間を作って怨念を鎮めようとしたのです。それが天龍寺の始まりでした。

敵将・後醍醐天皇の「怨霊」を鎮めるため

敵将・後醍醐天皇の「怨霊」を鎮めるため

Photo: LEGACY_REFERENCE: /var/lib/are-iina/unpublished/temples/tenryuji

02

資金不足を「天龍寺船」の貿易ビジネスで解決

天皇を弔うための巨大寺院を建てる。しかし、長引く戦乱のせいで、幕府にも朝廷にもお金が全くありませんでした。ここで立ち上がったのが、天龍寺の初代住職(開山)となった天才僧侶・夢窓疎石(むそうそせき)です。彼はなんと「元(当時の中国)と貿易をして、その利益で寺を建てましょう」と提案しました。これが有名な「天龍寺船」です。民間商人に船の運営を任せる代わりに、帰国時に莫大な上納金を幕府(寺)に納めさせるというスキームを構築しました。この国際貿易ビジネスは大成功を収め、その莫大な利益によって天龍寺の壮大な伽藍は見事に完成したのです。宗教家でありながら、天才的なプロデューサーでありビジネスマンでもあった夢窓疎石の面目躍如たるエピソードです。

資金不足を「天龍寺船」の貿易ビジネスで解決

資金不足を「天龍寺船」の貿易ビジネスで解決

Photo: LEGACY_REFERENCE: /var/lib/are-iina/unpublished/temples/tenryuji

03

建物は8度焼けたが、庭だけは残った

現在の天龍寺の建物(法堂や大方丈など)は、実は明治時代以降に再建された新しいものです。天龍寺は創建以来、応仁の乱や幕末の蛤御門の変など、幾度となく京都を襲った戦火によって、なんと「8回」も全焼しているのです。しかし、夢窓疎石が自らデザインした「曹源池庭園」だけは、約700年前の創建当時の姿をそのまま留めています。建物が燃えても、池と石組み、そして背後にそびえる嵐山と亀山を借景(背景の自然を庭の一部として取り込む技法)とした壮大なランドスケープデザインは、火災で消滅することがなかったからです。敵の怨霊を恐れ、貿易船で資金を稼ぎ、戦火で建物が消えても庭だけは生き残る。天龍寺の美しい風景の裏には、日本の中世をサバイブした凄まじい執念が隠されています。

建物は8度焼けたが、庭だけは残った

建物は8度焼けたが、庭だけは残った

Photo: LEGACY_REFERENCE: /var/lib/are-iina/unpublished/temples/tenryuji

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