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遺体のない巨大な葬儀と「沈香」の木像
天正10年(1582年)6月の本能寺の変において、織田信長の遺体は灰燼に帰し、明智光秀も、そして直後に京都を制圧した豊臣秀吉も、ついにその遺骸を発見することはできませんでした。 同年10月、秀吉は大徳寺において信長の百か日法要を兼ねた大規模な葬儀を強行します。遺体がないという致命的な問題を解決するため、秀吉は香木(沈香)を用いて精巧な信長の等身大木像を二体彫らせました。一体は火葬の儀式において遺体の代わりとして焼かれ、もう一体は菩提を弔うための本尊として総見院に安置されました。 この時安置された木像は現在も総見院の本堂に祀られており、鋭い眼光や面長な顔立ちなど、在りし日の信長の風貌を極めてリアルに伝えています。遺体を焼くというパフォーマンスによって、秀吉は自らが信長の喪主であることを視覚的に見せつけたのです。

Photo: baggio4ever / Wikimedia Commons / CC BY 3.0
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