中尊寺

ちゅうそんじ

中尊寺

Photo: 663highland / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

中尊寺|黄金のお堂は「4代のミイラ」が眠る巨大な墓。中尊寺金色堂に隠された奥州藤原氏の野望

黄金に輝く岩手県の中尊寺「金色堂」。世界遺産として有名なこの美しいお堂が、実は奥州藤原氏4代のミイラが眠る「巨大なお墓」だということを知っていますか? さらに、この眩いばかりの金箔と夜光貝の装飾は、馬と砂金を武器に独自の独立国を築き上げた、辺境の武将たちの「京都への強烈な対抗心」の結晶だったのです。

基本情報

名称
関山 中尊寺
読み
かんざん ちゅうそんじ
所在地
岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202
創建
嘉祥3年(850年)(円仁の開山伝承)、天治元年(1124年)(金色堂建立)
宗派
天台宗(東北大本山)
本尊
釈迦如来(本堂)、阿弥陀如来(金色堂)
主な見どころ
金色堂、讃衡蔵(宝物館)、本堂
ゆかりの人物
円仁(慈覚大師)、藤原清衡、基衡、秀衡、泰衡
金色堂の須弥壇の下には「ミイラ」がいるPhoto: Zairon / Wikimedia Commons / CC BY 4.0

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金色堂の須弥壇の下には「ミイラ」がいる

中尊寺を造営したのは、平安時代後期に東北地方で絶大な権力を握った奥州藤原氏の初代・藤原清衡(きよひら)です。 彼が建てた「金色堂」は、単なる阿弥陀如来を祀るためのお堂ではありません。 実はこのお堂自体が、奥州藤原氏の「巨大な霊廟(お墓)」なのです。 堂内には3つの須弥壇(仏像が乗っている台座)がありますが、驚くべきことに、その台座の中には、 - 中央壇:初代・藤原清衡 - 右 壇:二代・藤原基衡 - 左 壇:三代・藤原秀衡の遺体(ミイラ化状態)+四代・藤原泰衡(源頼朝に滅ぼされた)の首級 が、現在もそのまま安置されています。 昭和の学術調査で遺体が詳しく調べられ、彼らの血液型や死因、さらには泰衡の首の斬り傷までが明らかになりました。 金ピカの美術品として見ている仏壇のすぐ下に、12世紀の武将たちの生々しい遺体が眠っている。 金色堂は、日本でも類を見ない現役のミイラ霊廟なのです。

馬と金で築いた「京都への強烈なマウンティング」

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馬と金で築いた「京都への強烈なマウンティング」

なぜ、当時の日本の中心であった京都から遠く離れた東北の地に、これほど豪華絢爛な文化が花開いたのでしょうか? 奥州藤原氏は、東北地方から産出される豊富な「砂金」と、良質な「馬」という二つの強力な特産品を独占していました。 彼らはこれを京都の朝廷や貴族に貢ぎ、その見返りとして政治的な独立を勝ち取ったのです。 金色堂の装飾には、大量の金箔に加え、南の海でしか採れない夜光貝を使った螺鈿(らでん)細工や、シルクロードを経由した紫檀(したん)などの高級木材が惜しげもなく使われています。 「中央(京都)の貴族たちよ、我々にはこれだけの富と、世界の海と繋がる独自の貿易ネットワークがあるのだ」という、強烈な自己主張とプライドの結晶が、この黄金のお堂でした。

金色堂を守るための「マトリョーシカ構造」

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金色堂を守るための「マトリョーシカ構造」

現在、中尊寺に行っても、金色堂を直接外の空気の中で見ることはできません。 金色堂は、コンクリート製の頑丈な「覆堂(おおいどう)」という建物の中にすっぽりと収められています(さらにガラスケースで保護されています)。 実はこの建物を建物で覆うという手法は、現代の保存技術ではありません。 金色堂が完成してからわずか160年後の鎌倉時代(1288年)には、風雨や雪による劣化を防ぐため、木造の「旧覆堂」がすでに建てられていました(旧覆堂は現在も境内に移築保存されています)。 黄金の霊廟を絶対に朽ちさせてはならない。奥州藤原氏が滅んだ後も、この地を治めた鎌倉幕府やその後の権力者たちが、建物をマトリョーシカのようにすっぽり覆ってまで守り抜いたからこそ、900年前の奇跡の空間が現代に残されているのです。

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