山背大兄王

やましろのおおえのおう

山背大兄王

山背大兄王|聖徳太子一族の全滅! 山背大兄王の「呪い」と蘇我氏滅亡

基本情報

名前
山背大兄王
読み
やましろのおおえのおう
生きた時代
山背大兄王(やましろのおおえのおう、生年不詳 - 皇極天皇2年11月11日(643年12月30日))は、『日本書紀』によれば7世紀前半の皇族
生前の立場
山背大兄王(やましろのおおえのおう、生年不詳 - 皇極天皇2年11月11日(643年12月30日))は、『日本書紀』によれば7世紀前半の皇族
主な伝承地・ゆかりの地
皇位継承をめぐって蘇我入鹿に斑鳩宮を襲撃され、生駒山へ逃れるが、争いを避けて一族全員と共に斑鳩寺(法隆寺)で首をくくって自害した
死・怨霊化の経緯
皇位継承をめぐって蘇我入鹿に斑鳩宮を襲撃され、生駒山へ逃れるが、争いを避けて一族全員と共に斑鳩寺(法隆寺)で首をくくって自害した
祟り・伝承
入鹿暗殺は「太子の祟り」というオカルト解釈 この事件で聖徳太子の血筋は完全に途絶えました
区分
歴史上の人物・怨霊伝承

01

聖徳太子の息子という「危険な血筋」

山背大兄王(やましろのおおえのおう)は、あの偉大な聖徳太子の実の息子です。血筋も人望も完璧で、誰もが次の天皇になると思っていました。しかし、権力を独占したい蘇我入鹿(そがのいるか)にとって、彼の存在は邪魔でしかありませんでした。入鹿は軍勢を差し向け、王の住む斑鳩宮(いかるがのみや)を突如として襲撃します。

聖徳太子の息子という「危険な血筋」

02

「争いを避けるため」の集団自害

山背大兄王は一時、生駒山へ逃げ延びました。側近は「東国へ逃げて兵を集め、反撃しましょう」と進言します。しかし王は「自分が天下を取るために、人民を戦争で苦しめたくない」と言ってこれを拒否。一族を引き連れて斑鳩寺(現在の法隆寺周辺)に戻り、全員で首をくくって自害するという、あまりにも痛ましい最期を選びました。

「争いを避けるため」の集団自害

03

入鹿暗殺は「太子の祟り」というオカルト解釈

この事件で聖徳太子の血筋は完全に途絶えました。世間の人々は入鹿の冷酷さに震え上がり、「太子一族の怨霊が絶対に蘇我氏を呪い殺すはずだ」と噂しました。そのわずか2年後、入鹿は「乙巳の変」で中大兄皇子らに暗殺され、蘇我氏は滅亡します。歴史的には政治闘争ですが、オカルト的には「山背大兄王(聖徳太子)の呪いが発動した」という因果応報のストーリーとして語り継がれています。

入鹿暗殺は「太子の祟り」というオカルト解釈

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