藤原薬子

ふじわらのくすこ

藤原薬子

藤原薬子|毒を飲んだ愛人。藤原薬子と「薬子の変」の呪い

基本情報

名前
藤原薬子
読み
ふじわらのくすこ
生きた時代
平安時代初期
生前の立場
平安時代初期の女性(?〜810年)。
主な伝承地・ゆかりの地
京都・平安京、薬子の変ゆかりの地
死・怨霊化の経緯
平安時代初期の女性(?〜810年)。
祟り・伝承
事件を鎮圧した嵯峨天皇ですが、その後、薬子と仲成の怨霊に激しく悩まされることになります。
区分
怨霊伝説・歴史伝承

01

史実:元天皇の愛人という絶対権力

藤原薬子(ふじわらのくすこ)は、もともと平城天皇の妃の「母親(姑)」として宮中に入りましたが、その美貌で平城天皇本人の寵愛を受け、愛人となってしまいました。

平城天皇が弟の嵯峨天皇に位を譲って上皇(元天皇)となった後も、薬子と彼女の兄(藤原仲成)は上皇の権威を盾にして政治に介入し、朝廷は「上皇派」と「天皇派」に真っ二つに分かれる異常事態(二所朝廷)となりました。

史実:元天皇の愛人という絶対権力

02

クーデターの失敗と服毒自殺

810年、ついに薬子たちは「嵯峨天皇を廃し、平城上皇を再び天皇にする」というクーデター(薬子の変、または平城太上天皇の変)を決行します。

しかし、嵯峨天皇側には坂上田村麻呂などの強力な武将がついており、クーデターはあっけなく鎮圧されてしまいます。兄の仲成は処刑され、逃げ場を失った薬子は、捕まって屈辱を受ける前に自ら毒をあおり、壮絶な自害を遂げました。

クーデターの失敗と服毒自殺

03

勝者を追い詰めた「疫病の祟り」

事件を鎮圧した嵯峨天皇ですが、その後、薬子と仲成の怨霊に激しく悩まされることになります。

彼らの死後、都では疫病が流行り、嵯峨天皇の周辺で不幸が相次ぎました。勝者である嵯峨天皇は「これは薬子たちの怨念だ」と深く怯え、彼らの魂を鎮めるために仏教の儀式を頻繁に行い、ついには朝廷の公式行事(死刑の廃止など)にまで影響を与えることになりました。魔性の女の情念は、死してなお国家のトップを震え上がらせたのです。

勝者を追い詰めた「疫病の祟り」

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