後醍醐天皇

ごだいごてんのう

後醍醐天皇

後醍醐天皇|鎌倉幕府を倒し、建武の新政を目指した天皇

基本情報

名前
後醍醐天皇
読み
ごだいごてんのう
生きた時代
鎌倉時代末期〜南北朝時代
生前の立場
第96代天皇、南朝初代天皇
主な伝承地・ゆかりの地
京都、吉野(奈良県)
死・怨霊化の経緯
1339年、吉野で崩御。剣と法華経、北向き埋葬の語りは『太平記』由来の軍記・伝承。
祟り・伝承
足利尊氏を開基として後醍醐天皇の菩提を弔うため天龍寺が創建された。怨霊としての恐れや祟りは後世の伝承として語られる。
区分
歴史上の人物・怨霊伝承

01

史実の最期:右手に剣、左手に法華経

歴史上の怨霊と呼ばれる人々の多くは、無実の罪で殺されたり、絶望の中で受動的に死んでいったりした人物です。しかし、後醍醐天皇は違いました。

軍記物語『太平記』に描かれた彼の最期は壮絶です。病に倒れた彼は、死の床にあっても京都への帰還(足利尊氏の討伐)を諦めず、なんと「右手に剣(御剣)を握り、左手に法華経を持ったまま」息を引き取ったと『太平記』は描きます。これは軍記物語の表現であり、同時代の確定記録としてではなく、後世に強い執念の象徴として読まれています。

史実の最期:右手に剣、左手に法華経

02

「骨になっても朝敵を睨み続ける」という遺言

さらに恐ろしいのは、彼が残した遺言です。

「私の遺体は京都の方角(北)に向けて埋葬せよ。私が死んで骨になり、苔が生えても、魂は常に朝敵(足利尊氏ら)を睨みつけ、必ず滅ぼしてやる」。

多くの怨霊が「死んだ後に祟った」と後世の人々に恐れられたのに対し、後醍醐天皇は「私が自ら怨霊となってお前たちを呪い殺す」と生前に堂々と宣言して死んでいったのです。その圧倒的な執念は、敵である室町幕府を底知れぬ恐怖に陥れました。

「骨になっても朝敵を睨み続ける」という遺言

03

恐怖に駆られた足利尊氏の「鎮魂プロジェクト」

後醍醐天皇の崩御後、足利尊氏は、敵対した後醍醐天皇の菩提を弔う寺として天龍寺を建立しました。「あの天皇が祟らないはずがない」と震え上がった尊氏は、敵であるはずの後醍醐天皇の怨霊を鎮めるため、莫大な予算を投じて京都に「天龍寺」という巨大な寺を建立しました。

さらに、その建設資金を稼ぐために「天龍寺船」という貿易船まで中国(元)へ派遣しています。最強の武士たちが、死んだ一人の天皇の執念にどれほど怯えていたかがわかる、歴史的にも非常にダイナミックな鎮魂の記録です。

恐怖に駆られた足利尊氏の「鎮魂プロジェクト」

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